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「埋立工事を一日でも延ばしたいとの思いで調査に
取り組んできました。」

「市民科学の調査の現場から」第1回:上関の自然を守る会 高島 美登里さん 

 この4月から市民科学研究室と高木基金の共同企画として、高木基金の助成先にオンラインでお話を聞くシリーズ企画「市民科学の調査の現場から」をスタートしました。助成先のみなさんがどのような思いで調査研究に取り組んできたのか、助成研究は、その後どのような成果につながったのか。この企画では、市民科学研究室の上田昌文さんに司会をしていただき、成果発表会などでの短い発表時間では聞けなかった率直な思いなどをじっくり聞かせていただこうと考えています。4月6日に、シリーズの第1回として、「上関の自然を守る会」の高島美登里さんにお話を伺いました。ここでは高島さんとのお話から、一部を要約でご紹介します。ご承知の通り、上関原発建設計画の埋め立て工事は、現在中断されていますが、2023年8月に、中国電力が関西電力と共同で使用済核燃料の中間貯蔵施設を上関に建設する計画が持ち上がりました。なお、当日の動画は市民科学研究室のウェブサイトに掲載されています。上関の自然の素晴らしさや実際の調査の風景の映像もありますので、ぜひご覧ください。

https://livingscience-archive.org/archives/6691

(インタビュー実施日:2024年4月28日/(聞き手:市民科学研究室 代表理事 上田 昌文/高木仁三郎市民科学基金 事務局長 菅波 完)


上田昌文 今日、高島さんには、事前に私の方から少し質問を出させていただきました。それに沿って、しっかりした資料を作ってくださいましたので、そのスライドを見ながら高島さんにお話を伺いたいと思います。

高島美登里 こんにちは高島です。高木基金には本当にお世話になって、助成選考の公開プレゼンテーションとか成果発表会では、コチコチで発表していたんですけど、今日は菅波さんから柔らかい話でという要望でしたので、そのようなかたちで進めさせていただきます。

●「守る会」の活動はどのように始まったのか

高島 まず、「守る会」の活動はどういう思いから始まり、何を明らかにし、何を目指してきたのかという質問をいただきました。活動のきっかけは、1999年に中国電力が上関原発の環境影響評価準備書を公表したんですけども、それに対する疑問から始まりました。
 私たちは全くの素人で、この環境影響評価書準備書が出てきた時も、「スナメリがいるのに書いてないね」ぐらいしかわからなかったんです。その準備書を全部コピーして、 植物とか貝類とか鳥類とか、研究者の先生方に送って、ぜひ現地調査にきてくださいとお願いしました。
 現地に来られた先生方が、「50 年前の瀬戸内海がここにある」とか、「高島さん、ここは世界遺産にすべきですよ」といってくださって、私たちも本当に、ここにそんなに価値があるんだっていうのを知ったんです。それで「長島の自然を守る会」を結成しました。1999年の9月です。
 当初は、原発を止めるために環境保護の観点から中国電力の環境アセスメントに物申すということが強かったんですけれど、世界遺産にすべきだという言葉をいただいた時から、原発に反対するだけではなくて、ここの自然を未来に残すという、私たちにそういう責任があるというか、過去から現在、そして未来へつなぐという意味で「守る会」のもう一つの役割りをはっきり確認しました。ですから、原発計画に関わらず、エンドレスで活動を続けていくということにしています。

上田 自然の調査をしてくださる先生方とは、以前から、やり取りがあったんですか。 。

高島 いえ、つながりがあったのは生態学会に所属していらした安渓遊地先生、安渓貴子先生で、中国電力の環境アセスメントに関しても、山口県の審査会の委員として意見を言ってくださってたんです。私たちが、アセスメントの準備書が公表されてどうしよう、と思っていた時に、安渓先生がいろいろな先生を紹介してくださいました。

●研究者との調査を市民がどのようにすすめてきたか

上田 私が関心を持ったのは、これだけの先生たちを高島さんたちのグループが動かしてるということです。先生たちはそれぞれの専門があって、ご自分の研究がありますよね。そういう中で、上関のことを一緒にやろうと新たな研究プロジェクトを立ててるかたちで、高島さんたちが引っ張ってこられたのは、なかなかすごいなという感じを受けるんですけど、どのようにされてきたのでしょうか。

高島 引っ張ってきたというより、やはり研究者がここの生態系に惚れ込むっていう方が強いですね。ここに魅せられてしまって通ってこられたり、テーマをそこに合わせてくださったり。そういうことが大きいかなと思います。
 その研究者の方たちがおっしゃるのは、地元に私たちもいるし、すごくフレンドリーな漁師さんもいる。調査というと船を使っての調査が非常に多いので、漁師さんの経験談から研究者が学ぶこともできるというかたちですね。他のフィールドに行くと、何しに来たんだ、みたいに言われたり。漁師さんというと怖いという印象もあるようです。  

菅波 一言いいですか。生物や生態学の調査は、専門家がそこに行けばできるということでもないんだと思います。現場で生活してる人とか、海で漁をしている人たちの情報があってこそ、いい調査ができる。地元にいる市民の生活感覚というのも大事だと思います。
 中国電力の原発計画が一つのきっかけになり、地元の方と守る会があって、そこに研究者が来て、そういうきっかけが重なったことで、今に至る研究体制ができたのではないでしょうか。地元の方にとっては見慣れた風景だったかもしれないけども、そんなに喜んで来てくれる人がいるのかという風になってくると、やはり変わってくるんじゃないかなと思います。

高島 特に漁師さんが、最初はカンムリウミスズメってどんな鳥?みたいな感じだったのが、最近は、あの辺で見たよとか。先日も「山桜クルーズ」というイベントをやった時に、漁師さんが帰ってきて言われるんですよ。「あそこでたしかミサゴらしいのを見たんだけど、ミサゴかどうか自信なかった」とか言って。

上田 なるほど。それは相乗効果ですね。

●原発の埋立工事を中断に追い込んだ調査のインパクト

高島 上関原発建設のための工事を一時中断に追い込んでいるインパクトはどう生じたのか。これは難しい質問です。
 まず第一は、祝島のおじちゃん、おばちゃんが本当に生活を守るそのために、生活をかけて原発に反対して来られたということですね。1982年からだから42年間です。その他にも、神社の共有地の売却を拒否して、宮司さんが一生懸命、首をかけてたたかってきました。それから祝島以外の原発反対の人もいます。守る会は、自分たちの持ち場として環境アセスメントの不備を追及することで、ずっとやってきて、カンムリウミスズメがいるのに見落とされていたから中国電力が調査しなきゃいけなくなって、一年、延びたとか、そういうことでした。
 祝島のおじちゃん、おばちゃんが言ってらしたんですが、一日でも延ばせばいいんだって。私たちの力で原発の白紙撤回までは絶対無理だと。でも一日延ばしにしてたら情勢や周りが変わって、きっと計画を中止させることにつながるって。いつも言ってらしたんですね。私たちも、それぞれが努力して一日でも延ばそうと。  

菅波 それで40年、延ばしてきたんですよね。

高島 そうですね。それで、2011年の2月には、もう本当に、田ノ浦が埋め立てられる直前まで行ってたんですよ。3月16日から中電が総力戦で来たら、もう砂を入れられて、今の辺野古のようになると覚悟してたんです。祝島の人も私たちも含めて。そしたら3月11日に福島原発事故がおきて、上関の工事も中断して、すごく複雑な気持ちでしたけれども、その時、脳裏に浮かんだのは、一日延ばしにしてきたみなさんの顔。これがなかったらもう、埋め立ての土砂が入ってたかもしれないし、延ばしてきたから今のままの姿で止まることができたのかなと。だけどこれは決して自分たちの力ではないので、残念ながら福島の方たちの痛ましい被害もあって、逆に上関は止まっただけなので、そこはきちんと見ていかなきゃいけないっていう風に思いました。

【事務局追記】高島さんとのお話はまだまだ続きます。とても中身の濃いお話になったと思いますので、ぜひ、市民科学研究室のウェブサイトに掲載された動画でご覧ください。



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