ストップ・ザ・もんじゅ |
助成研究の完了報告書[pdf12] 助成研究の完了報告書[pdf12] 助成研究の完了報告書[pdf12] |
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池島 芙紀子 さん | ||
http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/ | ||
20万円 |
2007年6月の成果発表会にて(発表者は大島茂士朗さん)
2005年12月の助成申込書から
高速増殖炉開発から世界が撤退する中で、日本だけは依然、続けている。しかし開発の目途は全くなく、技術的にも危険であり、税金投入の無駄以外のなにものでもない。
米、英、仏、独がいかなる判断から撤退したかは、実はあまりよく分からない。特に英、仏に関しては日本語で書かれた書物がほとんど全くといってよいほどない。
昨年、私たちは、1990年に公表されたイギリス下院の報告書を全訳した。今回の、実証炉スーパーフェニックスを閉鎖したフランスの議会報告の全訳を行いたい。
米、独に関しては、入手可能な資料を基に、小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)の協力により、小林さん所有の文献、資料を加味して、4カ国の撤退決断に関する経過をまとまて小冊子として出版したい。
技術論ではなく、政策論として、2008年初頭の「もんじゅ」の運転再開の前に、高速増殖炉開発の是非を論じる有効な資料となると期待している。
【 この助成先は、2010年度にも同様のテーマで助成を受けています → 2010年度の助成事例 】
2006年10月の中間報告から
早くから高速増殖炉開発に着手した「開発先進国」が次々と撤退する中で、日本だけは依然、続けている。しかし開発の目途は全くなく、技術的にも危険であり、税金投入の無駄以外のなにものでもない。
米、英、仏、独がいかなる判断から撤退したか、その経緯は実はあまりよく分からない。日本語で書かれた書物が非常に限られており、ほとんど全くないといってよい国もある。
一昨年、ストップ・ザ・もんじゅは1990年に公表されたイギリス下院の報告書を入手し、全訳した。今回、実証炉スーパーフェニックスの閉鎖に関するフランス議会報告の全訳を行った。これに入手可能な資料を基に、米、独の経緯をまとめ、4カ国の撤退決断に関する冊子として出版した。
高速増殖炉開発を「ウラン枯渇に備えた保険政策」と位置づけ、1988年時点で「実用化が2020〜30年以降であるなら高すぎる保険料を払う意味はない」として撤退した英の当時の保守党の政策判断は注目に値する。
仏が91年に増殖路線を転換して核のゴミの焼却研究に転換した理由は不明であったが、背景に80年代末時点で、すでに原発が過剰となっていたことを確認できた。独に関しては、長らく「社民党が政権を取った州政府の政治的判断」と説明されてきたが、州規制当局が終始、安全側に立って技術判断し、連邦政府の側が開発を急いで政治的に動いた経緯がはっきりした。
米に関しては、高速増殖炉を巡る、技術問題、経済性、核拡散問題などあらゆる問題が総合的に交錯し、最終的には電力会社の経営判断(経済性)が大きく作用したことを改めて確認した。依然、不十分ではあるが、一歩前進したと思う。
2007年4月の完了報告から
早くから高速増殖炉開発に着手した「開発先進国」が次々と撤退する中で、日本だけは依然、続けている。しかし開発の目途は全くなく、技術的にも危険であり、税金投入の無駄以外のなにものでもない。
米、英、仏、独がいかなる判断から撤退したか、その経緯は実はあまりよく分からない。日本語で書かれた書物が非常に限られており、ほとんど全く情報がないといってよい国もある。
一昨年、ストップ・ザ・もんじゅは1990年に公表されたイギリス下院の報告書を入手し、全訳した。今回、実証炉スーパーフェニックスの閉鎖に関するフランス議会報告の全訳を行った。これに入手可能な資料を基に、米、独の経緯をまとめ、4カ国の撤退決断に関する冊子として出版した。
高速増殖炉開発を「ウラン枯渇に備えた保険政策」と位置づけ、1988年時点で「実用化が2020〜30年以降であるなら高すぎる保険料を払う意味はない」として撤退した英の当時の保守党の政策判断は注目に値する。
仏が91年に増殖路線を転換して核のゴミの焼却研究に転換した理由は不明であったが、背景に80年代末時点で、すでに原発が過剰となっていたことを確認できた。独に関しては、長らく「社民党が政権を取った州政府の政治的判断」と説明されてきたが、州規制当局が終始、安全側に立って技術判断し、連邦政府の側が開発を急いで政治的に動いた経緯がはっきりした。
米に関しては、高速増殖炉を巡る、技術問題、経済性、核拡散問題などあらゆる問題が総合的に交錯し、最終的には電力会社の経営判断(経済性)が大きく作用したことを改めて確認した。依然、不十分ではあるが、一歩前進したと思う。