2007年度完了報告[pdf34kb] |
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相川 陽一 さん | ||
70万円 |
2006年12月の助成申込書から
この研究プロジェクトは、戦後最大規模の社会運動である三里塚闘争(成田空港反対闘争)に支援者として関わった人々に対して、〇偉つ容争への支援活動から何を得たか、そして、∋抉膤萋阿侶亳海鮓什澆匹里茲Δ奮萋阿乏茲しているか、という2点について聞き書きを行い、三里塚闘争が同時代と後発の社会運動に与えた影響を明らかにすることを目的とする。
運動開始以来、約40年が経過した三里塚闘争は、現地外に住む多くの人々を支援者として惹きつけてきた。
だが、現地闘争の記録が数多く出版された反面で、三里塚に参集した支援者の主体像を捉えた研究は少なく、支援活動を経験した人々の「現在」に焦点をあてた研究は皆無である。
この研究プロジェクトでは、国内および国外に暮らす(元)支援者を訪問し、冒頭に掲げた2点を中心に聞き書きを行うことで、三里塚闘争の社会的影響を(元)支援者の語りにもとづいて明らかにしたい。
近年、国内外において、グローバルな移動の結節点として空港建設計画が打ち出され、住民と支援者の連携のもと、反対運動が展開されている。
空港建設をめぐって三里塚闘争と類似の紛争が生まれつつある状況下において、この闘争に支援者として参加した人々の経験を聞き取り、市民社会に発信していくことは、この運動を研究する者の責務である。
言うまでもなく、社会運動の評価は、当初の課題や目標を達成したかという点だけで決まるものではない。
運動参加者に内的な影響を与え、「動き続ける人々」を生み出すという、運動の長期的かつ間接的な社会的影響も、運動を評価する上で重要な指標となる。
私は、三里塚への支援経験を持った多くの人々が、それを自己にとっての抜き差しならない経験として捉えていること、そして、かれらが三里塚闘争にエンパワーされ、今も「動き続けている」ことを聞き取り、市民社会に発信していきたい。
それが研究者であり、三里塚で育った当事者でもある私が、「運動経験を引き継ぐ」ということの意味であると考えている。
2007年9月の中間報告から
本プロジェクトのねらいは、三里塚闘争の(元)支援者へのインタビューを通じて、この闘争への支援参加経験が、支援者自身のライフコースや後発の運動に与えた影響を明らかにすることにある。
この闘争を支援者の視点から捉える点、そして、闘争への支援参加を原点として現在も様々な運動の現場で「動き続ける人々」へのインタビューを積み重ねることにより、三里塚闘争という運動のもつ中長期的な「運動主体形成力」をモノグラフ的手法によって明らかにしようとする点が、本プロジェクトの特徴である。
07年4月には、三里塚の記録映画の自主上映活動をきっかけに誕生した農民団体「庄内農民レポート」(現「庄内協同ファーム」)を訪ね、団体の立ち上げメンバーをはじめとする方々のご協力のもと、メンバーそれぞれの自己史や団体の来歴についてうかがった。
5〜6月は、先行研究として、日本における60年代後半の学生運動や同時代の米国の公民権運動に参加した人々の「その後」を追った文献の収集と読解に充てた。
その間、6月には高木基金公開プレゼンテーションでお会いした「水俣病センター相思社」の遠藤邦夫さんと三里塚で再会し、ご自身の来歴をはじめ、若い研究者や「支援者」が登場しつつある水俣の現状についてお話をうかがった。
8〜9月には、仮説構築のための調査として、関東近県で労働組合の要職に就いている複数の(元)支援者を訪ね、支援経験と現在の活動の双方についてインタビューを行った(夏季の調査で特に印象的だったのはインタビューを申し込んだ矢先に「三里塚に行かなければ、いまの私はない」という語りに何度か接したことである)。
上半期の調査によってインタビューの共通質問項目を練り上げ、秋以降の調査では、関東以遠に暮らす(元)支援者を含めて集中的にインタビューをおこない、可能であればアンケート調査など、多角的な調査手法も盛り込んでいきたい。
2008年4月の完了報告から
2007年度の助成研修では、研修計画を提出した当初に構築した仮説や調査の見通しが、たえず問い直された。
2007年度の途中で、高木基金の許可を得て、2008年度も助成研修を継続できることになり、以後、07年度のインタビューをパイロット調査と位置づけて、2008年度に本格調査に入ることにした。
2007年度は、約20名にインタビューを行った。
この中には、団体へのインタビューや座談会も含まれている。
2007年度の調査地は、東北(山形県)、関東(東京都、千葉県、神奈川県、埼玉県)、関西(京都市)、東海(静岡県)で、多地点での調査が実施できたが、調査回数は当初予定(約60名)よりも少なく、2008年度に調査が継続できた機会を最大限に活用して、以後、インタビューの回数を大幅に増やしていきたい。
また、2007年度には、国内外の先行研究調査も行い、主として欧米で行われた1960−70年代の社会運動参加者の「その後」に関する調査研究を多数参照した。
この調査の目的は、三里塚闘争という運動への支援参加経験が、支援経験者自身の生き方(とりわけ政治的態度)に及ぼした様々な影響を調べていくことにある(運動参加経験の再帰的効果に関するモノグラフ的研究)。
調査を進める過程で、予期しない情報や出来事や人物に出会い、インタビューは当初の調査設計への問い直しを繰り返しながら進んでいった。
当初、「動き続ける」人々へのインタビューという目的で、三里塚闘争への支援参加をきっかけ(あるいは転機)に、社会運動への関与を持続させていった方々を中心的な話し手に据えていた。
しかし、2007年度の調査で、おぼろげながらも明らかになったことは、(インタビューという場において)「この闘争への支援参加経験」と「話し手の現在の主体のあり方」(とりわけ現在のアクティヴィズム)との間には、直線的な因果関係が結ばれることもあれば、両者の間の潜在的な結びつきが暗示されることもある、ということである。
両者の結びつき(ときには断絶)を考察する際には、社会運動への持続的関与という話し手の政治的側面だけでなく、話し手の生き方の総体に向き合うことが必要となる。
こうした「気づき」は、「動き続ける」(stillactive)という行為や態度の意味を問い直す過程から生まれた。
「動き続ける」といったときの「動き」のあり様は社会運動への持続的関与に限定されないのではないか。
個々人に内属した闘争経験は社会運動への継続的(もしくは断続的)参加という以外の手段をもって、持続的に体現されることもあるのではないか。
それは例えば、職業選択のような場面に見出される。
闘争の支援経験から得た信念と自己の生き方との間に生じる葛藤を調停するために、運動経験者は、どのような生き方を選択してきたのだろうか。
就業選択という切り口は、闘争経験の再帰的効果を考察していくうえで重要な視点であり、以後の調査に活かしていく。
調査は、こうした問いと応答の繰り返しだった。
三里塚闘争への参加経験から得たスキルや社会的紐帯、特定の信念といった「伝記的経験の資本」(D・ベルトー『ライフストーリー』訳本51−52頁)は、この闘争に突き動かされていった人々の現在の活動に、どのように活かされているのか。
それらはいかにして獲得され、持続し、ときに新たな方向に水路づけられていったのか。
こうした運動経験の「再動員」を支える社会的紐帯には、どのようなものがあるのか。
社会運動への持続的関与という観点のみでは捉えきれない運動経験の個人的帰結をどのように調査できるのか。
一連の問いは、闘争への支援活動という経験が、行為者自身の生き方に及ぼす再帰的な効果を明らかにするための問いであり、2008年度の調査で明らかにしたいと考えている論点でもある。
引き続き、インタビューに歩きながら、調査の現場から問いを立てる力を鍛えていきたい。
インタビューの場において、調査者は、ただ話を聴くだけの受動的な存在ではいられない。
闘争経験は、調査という介入的な企ての中で、問いを投げ、ときに問いを投げ返される聞き手と話し手との間で、あるいは座談会のような場での話し手相互の対話を通じて、つまり複数の主体間において相互構築的に生み出されるものである。
これも、2007年度の調査を通じて、学んだことだった。
現在進行形の社会運動事例にアプローチしていく際には、書籍等の文書資料から闘争経験者の語りや見解を受け取るだけでなく、インタビュー調査という企てを通じて、解釈や見解が産出される場自体の生成に携わっていくことも、同時代史や社会運動の研究者に求められる仕事ではないだろうか。
未だ調査途上ではあるが、これまでの調査経験から、調査者はそのような考えを持っている。