鴫原 敦子 さん | ||
40万円 |
2018年12月の助成申込書から
福島県に隣接し、原発事故の影響下にあった宮城県における被害状況の実態把握は、事故当初から十分になされてきたとは言い難い。こうした実情を踏まえ、本調査研究では、事故後の詳細な社会的事実関係の記録と、宮城県南・県北地域を中心に市民的立場から実態把握を目指して取り組まれてきた測定・調査活動の成果を網羅的に整理・集約し、原発事故被害に向き合う市民社会の記録集を作成する。そのために、行政機関がすでに公表済みのデータ、各地の測定室や市民グループが自主的に測定したデータ(空間・土壌・食品含む)など県内に散在する情報の集約と体系的整理、および未だサンプル収集段階で調査途上の、ほこりに含まれるセシウムボールに関する研究成果も可能なかぎり含めた記録集を作成したい。
これによって、津波被災の激甚性の影に隠れてあまり認知されてきていない宮城県の原発事故被害状況を市民社会の中で共有することをねらいとする。宮城県においては、放射性廃棄物処理をめぐる問題や廃炉作業に伴う問題、原発再稼働をめぐる問題など、市民社会内での議論を必要とする課題が山積している。にもかかわらず、原発事故がもたらした影響や被害実態について、十分な事実関係の共有がなされていない実態がある。また、復興・原発再稼働への動きが加速化する現状のもとで、原発事故後の健康影響に対して住民が抱く不安を、個人的主観や市民の「無知」に帰着させ、「正しい知識の普及」による解消を図ろうとする国や県・行政側の姿勢も顕著である。低線量被ばくの影響については未解明な部分が多く、真に予防原則にたって地域社会の将来像について市民社会内での十分な議論を行っていくためには、公論形成の土台づくりとしての事実関係の共有は必要不可欠である。本プロジェクトで作成する記録集は、被害の不可視化が進む社会状況の中で、市民的立場から収集した「科学」的根拠をもとに、必要な支援策や対応策を求めていくための基礎資料となりうると考える。
2019年10月の中間報告から
「市民の記録集」製作に向け、主に宮城県北や県南地域で活動を展開してきた市民グループメンバーからの情報収集を中心に調査活動を進めてきました。
福島県に隣接し、原発事故の影響下にありながら、事故後の被害状況に関する実態把握が十分とはいえない宮城県では、自ら実態把握に取り組んだ市民グループが、各地で測定や学習会、行政への働きかけなど主体的な活動を展開してきています。それらの活動記録の収集作業と、各地に散在する測定データなどの収集を中心に進めてきました。市民放射能測定室をはじめ、継続的に測定活動を行い、記録を残してきているグループのデータからは、放射線量の経年変化を読み取ることもできます。
こうした調査活動を通してあらためて見えてきたのは、各地の市民グループの多くは、当初頻繁に集まって活動していたものの、徐々に集まる頻度が少なくなり、現在活動を休止しているケースも多いことです。個人的に当時の状況に関する聞き取り調査などを進める中で、すでに記憶が薄れつつあり、資料を持ち寄り、当時を思い返して話をする中で情報を補い合うことができる状況も多く、やはりこの時期に記録を残しておくことの重要性を実感しました。
また震災後8年半を経て、時間の経過とともに、住民が直面する課題も複合的に推移してきています。震災当初は初期被ばくへの不安をはじめ、子どもたちの生活環境を中心とした空間線量の測定やホットスポットの除染といった放射線防護措置の要求、食品やホットパーティクルなどによる内部被ばくへの懸念などが中心でした。その後、福島での県民健康調査結果に伴う健康不安と健康調査の要望、2018年から県内で始まった8000Bq/kg以下の放射性廃棄物の焼却をめぐる問題へと、重層的に推移しています。さらには、今後の女川原発における廃炉作業に伴う問題、また再稼働をめぐる問題など、市民社会内での注意喚起や議論を必要とする課題も山積しています。
今後は、来年春の「記録集」の完成に向けて、収集した情報の整理・集約を行いつつ、随時製作メンバーを募りながら、意見交換を重ねて掲載内容を十分に吟味し、本格的な編集作業に着手する予定です。
完了報告から
本研究では、東電福島原発事故後の宮城県の被害状況が十分に認知されてきていない現状を踏まえ、草の根レベルで原発事故に向き合ってきた市民社会の記録を残す活動に取り組みました。市民的立場で得られた測定・調査活動に基づくデータや自治体への要請活動の記録など、県内各地に散在する情報を網羅的に収集し「記録集」の発行を予定しています(2020年10月予定)。編集委員メンバー間で「誰に向けて、何のために記録を残すのか」についての議論を重ね、以下の3つの視点からの記録集とすることを確認しました。
1)宮城県の市民の間で、この問題を過去のものにせず自分たち自身の問題として共有するための記録。
2)チェルノブイリの経験から自分達が学んできたように、自分達の経験的知見が有用になる可能性があることを想定して残す記録。
3)この地域に暮らした子ども達の将来のために残す記録。
本研究を通して、宮城県では事故当初の実態把握や情報開示の在り方が非常に消極的であったこと、このことが市民の潜在的「不安」の要因になっていることが改めて浮き彫りになりました。また、各地で実態把握と放射線防護に関する要望が出され、2012年7月には健康調査の体制の確立を求める請願書が議会で可決されたものの、結果的に具体的な動きにはつながらなかった経緯も明らかになりました。他方、これまで地域社会が担ってきたケアの基盤が原発事故によって分断される中で、県内各地で多様な立場の人々が、子どもの健康を見守り支えていく新しいネットワークを模索する動きも同時に見られています。
こうした市民の動きを記録することは、原発事故が地域社会に何をもたらしたのか、そこに暮らす人々にとって何が脅かされたのかを逆に照らし出すことでもあります。周辺地域の被害を切り捨て、原発事故被害そのものを矮小化していく流れに抗うためにも、同様の問題状況を抱える福島県に隣接する周辺地域と連携しながら、今後も研究活動を展開していきたいと考えています。