川尻 剛士 さん | ||
20万円 |
2018年12月の助成申込書から
熊本水俣病問題は、日本の高度経済成長期にチッソ水俣工場の汚染排水によって不知火海沿岸一帯で激甚に発生した巨大水銀中毒問題で、今日もなお続く公害問題である。現在でも確たる治療法が存在しない水俣病に対して、生存患者たちはそれぞれの生活の中で「不治」の病いと向き合ってきた。
水俣病患者の中には、近代医療では「不治」とされる病いを「未知」の病いと捉え返して病いと向き合い直すことで、自らの生を再出発させようと努力してきた患者がいる。申請者は「竹の子塾」( 1977-1979)に参集した患者の生活史に注目してその一端を理解してきた。彼・彼女らはそこに参集して各自が生活の中での病いとの格闘を通して生み出してきた諸実践――民間療法やリハビリテーション――を共有して学び合ったのだった。また一方で、自らを生き直すために必要と思われた諸科学については専門家を呼び入れて学習したのだった。
以上のように、患者たちは自らを生き直すためにさまざまな〈知〉を動員してきた。ここでいう〈知〉は、「科学的・理性的なもの」と「感性的・身体的なもの」との総体である。高木仁三郎は、この両者が鋭く引き裂かれ、自然とのトータルな結びつきを失っていることに「現代の危機の根源」を見取っていた。いわば、患者たちは高木の指摘を自らの生活世界において先取りして実践してきたと言える。
本調査研究は、水俣病患者が生活世界の中でいかに〈知〉を動員し、生き直すことを可能にしてきたのか、その一端を生活史調査によって明らかにすることを課題とする。自らを生き直してきた患者像の探求は、いわば一つの「市民科学者の原型」を描き出す作業ともなるだろう。
未だ潜在患者が多いとされ、今後も患者の苦悩が続くことが予想される「終わらない水俣病」に対して、患者たちが個別に展開してきた病いとの向き合いの軌跡を理解し、集積し、共有化することに向けた基礎的研究が求められている。
2019年10月の中間報告から
本調査研究では、1950年代後半以降、チッソ水俣工場の汚染排水によって発生した水俣病の被害当事者である患者が、水俣病という「不治」の病いを背負い込んでからの生き直しの過程をめぐる生活史調査に取り組んでいます。
本調査研究の実施に至る背景には、以下二つの水俣病をめぐる現実があります。
第一に、初期水俣病患者がいなくなってしまう時代に直面しており、経験の聞き取りが喫緊の課題となっていることです。また、存在が認知されていない潜在性患者や、将来的に症状を発症する可能性のある遅発性患者がいまだ多数存在すると指摘されていることです。今後、水俣病と認知される可能性のある患者の支援のためにも、生存患者の生活史を記録する取り組みを持続していくことは重要だと考えます。
第二に、現地水俣では2019年3月下旬より「メチル水銀中毒症へ 病名変更を求める!! 水俣市民の会」という看板が設置されたように、水俣病問題の風化を印象付ける「病名変更」の動きが再燃していることです。そのため、水俣市民はもとより、広く水俣病問題への関心を喚起することが改めて求められています。患者の生活史調査の継続的な実施と特にその積極的な公開は寄与するはずです。
以上の問題意識に立ち、今年の4月/6月/8月に、各1週間程度の現地調査を実施し、8 名の患者の生活史の聞き取り調査を実施してきました。
加えて、本調査研究の実施過程で、水俣在住の若者たちが患者の生活史の聞き取りに強く関心を有していることが分かってきました。今後は現地の若者たちとも可能な限り連携を図りながら「水俣病の経験に関する聞き書き運動の組織化」も目標にしたいと考えています。具体的には、現地で水俣病を伝える活動に取り組んでいる「一般社団法人 水俣病を語り継ぐ会」内部に聞き書きグループを組織することを目指しています。
今年度は、引き続き11月/12月/1月/3月に現地調査を予定しています。また1 月には、水俣病事件研究交流集会での研究成果の発表も予定しています。加えて、調査の成果を聞き書き集(「水俣病を語り継ぐ会」のブックレットを検討中)として編集・刊行することを予定しています。
完了報告から
私は、これまでに水俣病患者の生き直し過程を視座とする「水俣病被害地域の人間形成に関する史的研究」に取り組んできました。水俣病患者たちの生き直しにおける「課題」は、自らが背追い込んだ病いといかにして生きていくのかということを基礎的なものとしながら、今日では自らの「水俣病の経験」の共有/継承へと展開しています。
本調査研究の当初の目的は、患者たちがいかにして水俣病とともに生きてきたのかをめぐる生活史調査及び、関連して、患者らの病いをめぐる自主医療講座・竹の子塾(1977-1979)の歴史過程の解明でした。本調査研究では、6名の患者の方々に生活史を伺うことができました。引き続き、未だに聞き取られていない「水俣病の経験」とは何か(例えば、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」に基づく「水俣病被害者」の経験)を絶えず問い直しながら明らかにしたいと考えています。また、竹の子塾の歴史過程については、当時の運営委員へのインタビューでその一端を理解しました。今後は、竹の子塾から今日に至る、水俣で蓄積されてきた医療や福祉に関わる学習の来歴を把握しながら現在への示唆を整理していきます。
さらに、「一般社団法人水俣病を語り継ぐ会」の朗読活動との出会いから「水俣病の経験」の共有/継承の可能性の探究を新たな目的として加えました。この活動は、水俣病患者が高齢化して経験の継承が喫緊の課題とされる今日において、この活動は「水俣病被害地域の人間形成」の歴史的到達点として見ることができます。本調査研究では、まずは現状において見えてきた朗読活動の有する可能性を整理しました。引き続き、朗読活動の担い手たちと一緒に、さらなる「水俣病の経験」の共有/継承の可能性を探究していきたいと考えています。
昨年度一年間にわたって、私なりに水俣に生きる方々や水俣の有する歴史と向き合う中で、何よりも私自身がより深く現地に学ぶ必要があるということを痛感してきました。これは、一年間の活動の中で、水俣と私の間にある「距離」を様々な場面で実感したからです。現地で課題とされていることをより内在的に把握することが、今の私にとって根本的な「今後の課題」です。その意味でも、ようやくスタート地点に着いたというのが正直なところです。