助成研究の完了報告書[pdf18] 助成研究の完了報告書[pdf18] |
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丸浜 江里子 さん | ||
20万円 |
2007年6月の成果発表会にて(安井郁氏の写真をバックに)
2005年12月の助成申込書から
2005年夏、杉並区は全国で採択率が1%にも満たない「あたらしい歴史教科書」を採択した。
杉並の中学生は原爆の被害や原水禁運動に全くふれない教科書で2006年から学ぶ事となる。
原水禁運動発祥の地の住民として忸怩たる思いである。
今から52年前、第5福竜丸のビキニ水爆実験被災をきっかけとして杉並の公民館に集う主婦たちが始めた「水爆禁止署名」運動は、区内で30万筆を集めたのを皮切りに、全国で3000万筆、全世界で数億筆の署名につながり、日本の原水爆禁止運動の大きな高揚をもたらした。
この空前の運動について区として記録を残す取り組みがないせいか、区民は実態を知る機会がなく、歴史の継承が行われていない。
2005年3月から、運動を主導した故安井郁杉並公民館長宅に残る膨大な関係資料の整理が始まり、参加しながら、埋もれている事実の重さに驚愕した。
安井資料を主資料としながら、以下の研究を進めたい。
1.安井資料の整理作業(共同作業でデータベース化)
2.安井郁氏と杉並の住民自治活動……「杉の子」資料分析と聞き取り
3.原水禁運動−杉並から日本へ、世界へ……平和運動(含広島、長崎)分析
4.「杉の子」・原水禁運動と現在……何を継承できるか
杉並区民として、主婦として、市民運動を進めてきた市民として、戦後史を研究する修士として、研究を2007年1月に修士論文としてまとめる予定である。
2006年10月の中間報告から
1.資料整理
毎月、初代原水協理事長である故安井郁氏宅を訪ね、膨大な資料を整理・調査している。
2.現地調査
2005年8月、広島市を訪ね、原爆資料館、付属図書館を訪ね、研究会に参加。
2005年11月、長崎市を訪ね、原爆資料館を見学。
長崎大学で開かれた平和学会に参加
2006年3月、静岡県焼津市で開催された3.1ビキニデーに参加し、研究会に参加
2006年4月から第五福竜丸展示館を7回訪問するとともに、杉並区内、東京都内で現地調査と聞き取り調査をすすめている。
3.調査・聞き取り・資料収集
・当時、原水禁運動、平和運動に参加された方々やその遺族、科学者、研究者を訪ね、のべ31人の方の聞き取り調査をすすめ、貴重な証言を得、まとめの作業を行っている。
・第5福竜丸展示館、杉並郷土博物館、国会図書館、大原社会問題研究所等で資料収集
4.報告・広報活動
・2006年2月、東亜社会教育研究会で「杉並原水禁運動と『杉の子会』」のテーマで報告
・2006年8月、平和のための戦争展(於:新宿)で戦争体験の継承を主テーマに報告
・『歴史地理教育』2006年6月号に「杉並の教科書問題都市民運動」が掲載される。
原水禁運動にもふれ、杉並の市民運動について考察している。
・2006年8月10日『杉並の市民活動と社会教育の歩み』別冊原水禁運動(安井家)資料研究会報告書発行
上記の調査研究をまとめながら、論文作成をすすめている。
戦争と平和、市民運動、女性史、戦後史、社会運動史等に関わるテーマで、多方面と関連を持つが、論文完成後は区内だけでなく、様々な場で報告する機会を機会をもち、戦後最大の民衆運動=市民運動の意義と成果を伝え、体験の継承の一助となればと考えている。
2007年4月の完了報告から
1954年、アメリカのビキニ環礁での水爆実験により第五福竜丸が被曝したのをきっかけに各地で署名運動がおこったが、杉並は、「杉並アピール」をつくり、区立公民館を拠点に女性達中心に署名運動を全区的に展開し、大成功を収めた。
この動きは全国に広がり、全国で3200万筆、全世界で6億筆という空前の署名を集めた。
その後、杉並はこの運動の影響か、住民の気風か、比較的リベラルで政治的関心が高い住民がすむ、市民運動の盛んな区となっていった。
しかし、50年後の今、杉並の学校では全国でたった2地区しか選ばなかった、戦争賛美の「扶桑社版歴史教科書」が使われ、じわじわと右翼的・強制的な教育が広がってきている。
右翼的な区長の意向が教育現場に強く反映されている。
そのことを知り、心痛める区民は少なくないが、有効な運動が展開できない。
あの時に、あのような署名運動を成功させた力はどこにあったのか、「杉の子読書会」等女性達はどのように考え、運動をになったのか、その力は継承されなかったのか、今、杉並の運動は何が必要なのだろうか。
杉並で起こった最大の市民運動を研究する中で、知恵を継承したいと考え、研究に取りかかった。
公民館長であり、やがて原水協初代理事長となる安井郁と田鶴子夫妻が残された資料を中心に区内資料、第五福竜丸展示館、立命館平和ミュージアム、国会図書館資料および、聞き取りをすすめ、以下のことを明らかにした。
1.この運動の背景には町内会、愛国婦人会、消費組合など戦前のしくみ、つながりも大きな意味がある。
戦中の杉並の歴史をさかのぼり、人々のつながりを考察した。
2.運動を主導した公民館長安井郁・田鶴子夫妻の歩みをさかのぼる中で、杉並、とりわけ荻窪地域の地域活動が公民館活動の基礎をつくった。
3.戦後の社会教育の理念の誕生と、高木区長と安井公民館長の協力で発展した杉並区の社会教育は注目に値する。
ここで育った人々が原水禁運動の主体となっている。
4.運動をになった世代の戦争体験を検討し、戦争はもう繰り返したくないという意識が運動の原点としてあること、また、1950年代前半、朝鮮戦争直後の時代の影響も受けている。
5.運動をになった「杉の子読書会」、および「杉並婦人団体協議会」の成り立ち、及び、それらの活動に参加した女性たちの分析。
2007年度は、それらの諸条件がビキニ水爆実験をきっかけに、どう結びつき、人々はどう活動し、原水爆禁止運動が広がったのかについて、研究をすすめ、初期杉並原水爆禁止運動史として、実証的に記述したい。
その研究を通じて、杉並の初期原水爆禁止運動から何を継承できるか、現代の視点で考察していきたいと考えている。