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ダム計画をめぐる生活史―熊本県川辺川流域での聞き書き―



グループ名 『ダム計画をめぐる運動史─熊本県川辺川流域での聞き取り─』<助成報告集Vol.6,2009掲載>[pdf]
『ダム計画をめぐる運動史─熊本県川辺川流域での聞き取り─』<助成報告集Vol.6,2009掲載>[pdf]
『ダム計画をめぐる運動史─熊本県川辺川流域での聞き取り─』<助成報告集Vol.6,2009掲載>[pdf]
代表者氏名 森 明香 さん
URL
助成金額 20万円

子守歌の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会HPより(http://kawabegawa.jp)

有識者による現地見聞の様子。2008年7月、住み込み調査

川辺川ダム建設促進協への抗議の様子。2008年8月、住み込み調査

熊本市内にて。2008年9月、住み込み調査

研究の概要

2007年12月の助成申込書から
 本調査研究では、運動当事者へのインタビューを通して、川辺川ダムをめぐる反対運動の「歴史的事実」を記述することを目的としている。  多目的ダム計画である川辺川ダム計画をめぐる今日の反対運動は、90年代初頭にその萌芽が見られる。以来、運動を全国規模に展開させ、裁判闘争や漁業権の強制収用に対して対抗し、勝利をおさめてきた。計画が白紙化した2005年以降、再度国土交通省によってダムを前提とした河川整備計画が策定されたが、ダム利水の最大受益地相良村の事業撤退(2006.8.2)、発電事業の撤退(2007.6.15電源開発による)、利水事業の休止(2007.11.22農水大臣明言)など、ダム計画史上かつダム反対運動史上、類をみない展開をみせているといっても過言ではないだろう。  このような注目すべき展開をみせている川辺川ダム反対運動であるが、この反対運動に焦点をあて具体的な運動展開を論じた調査研究は、ほとんどなく既存の研究は運動の概略を述べるにとどまっている。本調査研究では、具体的な運動展開について、運動が顕在化する以前から今日まで焦点をあて、その「歴史的事実」を記述したい。  申請者が出会った運動当事者からの言葉の、印象的なものの一つに、次の言葉がある。 「社会を変えるのは、思想ではなく、事実である。」 研究者の果たすべきことの一つが、歴史を記述し、考察し、そこから教訓を得るための準備をすることであると、申請者は考えている。振り返るための一つの「歴史的事実」を記述し、その「事実」を考察し、発信していきながら未来へつながる政策を考えていきたい。

中間報告


結果・成果

2009年5月の完了報告から
 本調査研究の目的は、長期にわたる住込み調査を行う中で、団体によるイベント企画等の運営に携わりながら川辺川下流域(以下、下流域)住民運動団体の経年の動きを把握しうる聞き取りを行い、その運動がどのように数々の困難を乗り越え、ダム計画を白紙状態にまで追い込んできたのかを明らかにすることである。  7月から2ヶ月にわたる住込み調査において、一つの下流域住民運動団体(清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会(以下、手渡す会))に参与する中で、調査の内容を変更することになった。申請者が赴いた2008年夏は、熊本県知事や川辺川ダム計画の“最大受益地”とされる人吉市およびダムサイトの相良村の首長らそれぞれが当選してから初めてダム計画に対する見解を表明するとしていた直前の時期であり、それぞれが推進派から支援を得て当選していたことから、下流域住民運動団体の多くが首長らへのアプローチに照準を合わせていた。そのため、手渡す会をはじめとする下流域住民運動団体が行う要請活動に同行させていただきながら、下流域における運動がどのように展開されてきたのか、参与観察を主とした調査に切り替えた。変更した背景として、これまで幾多も「ダムができるかもしれない」困難を乗り越えてきた住民運動団体の、その乗り越え方について垣間見る機会となりうるのではという予測があった。  調査の目的を変更したことで、目標を次の二点に絞ることにした。一点は、手渡す会がどのような生成期を経て展開するようになってきたのかその歴史を把握することである。球磨川水系の最大支流である川辺川流域では、手渡す会の運動が展開される以前にも、水没予定地である五木村においてダム反対運動が展開されたことがあった。歴史を紐解くと、水没予定地での運動が終息した90年頃になって手渡す会が結成されていた。43年に及ぶ計画の歴史を抱える流域において、上下流域でこうした時間差をもたざるをえなかったのはどうしてなのか。こうした疑問があったためである。もう一点は、手渡す会がどのような戦略でもって活動を展開しているのかを知ることである。申請者のインタビューにおいて「今年こそダムができるんじゃないか、と何度も思ってやっとったけんね」という言葉をしばしば耳にしていた。そうした「困難」を乗り切るためには、様々な資源が必要だったのではないかと思われる。手渡す会は、どういった戦略をもって、どういったネットワークを生かしていたのだろうか。下流域でのダム反対運動史において初期に結成された住民運動団体である手渡す会の戦略を知ることで、下流域での住民運動団体間のネットワークも浮かび上がってくるのではないかと考えたためである。  こうした参与観察と聞き取りを行い、フィールドノート、ICレコーダーで記録した音声、現場メモ、運動団体及び行政の資料を得た。その結果、若干の補充調査が必要であるものの、次のことが明らかになってきた。すなわち、上下流域の運動の質的な違いから上下流域で運動が連携することがなかったこと、いくつかの鍵となる出来事を経て問題に気づいていったという背景があったことである。

その他/備考


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