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核開発の現場に暮らす人々の視点 〜太平洋マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャ〜



グループ名
代表者氏名 竹峰 誠一郎 さん
URL
助成金額 160万円

成果報告

研究の概要


 核開発の現場に暮らす人間の視点・太平洋マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャ調査研究。米国はビキニ、エニウェトック、ロンゲラップ、ウトリック環礁への被害は公式に認めるようになりましたが、アイルック環礁のヒバクシャ401人は対象外とされています。2,000回を越す核実験、核開発の過程でヒバクシャが増えつづける中、核開発の現場からそこに暮らす人の視点にそって調査研究をおこないます。 【 この助成先は、2005年度にも同様のテーマで助成を受けています → 2005年度の助成事例 】

中間報告

中間報告から
<進行状況> 1.現在まで、基金に関する研究は、修士論文(「マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識:ポストコロニアル期における太平洋島嶼地域の核問題」)執筆と並行して進めています。 2.第1四半期には、ほぼ予定どおり、先行研究収集・整理、関連資料収集・読み込み、昨年度のフィールド調査のまとめに取り組みました。(これらの取り組みの成果がみえるものとして、「修士論文の序論」を添付いたします)。 3.第2四半期には、予定した米国公文書館など海外における資料収集はできませんでした。理由としては、修士論文が予定どおり6月に、提出できなかったからです。そこでこの時期は、データを集める作業よりも、文書の構成と書く作業に集中する必要が出てきたからです。今後も、次回提出日である12月までは、同じような状況が続くかと思います。 4.第2四半期には、海外にはいけませんでしたが、広島原爆の日を前後して広島で関連情報収集と、人脈作りに励んできました。(私がフィールドとしているアイルック環礁の人ではありませんが)マーシャル諸島の方や、他地域の核実験被害者の方に話をうかがう機会もありました。広島で得た情報は、論文の一次資料としては使わないでしょうが、今後研究を進めていく上で視野が広がったかと思います。 5.助成金は余っている印象をもたれるかとも知れませんが、これは現在まで、海外調査(米国内における公文書収集やマーシャル諸島におけるフィールドワークなど)を実施していないことに由来するものです。 6.関連発表  この間に、マーシャル諸島の核問題に関連する発表をいくつか行う機会があった。その主なものを一覧として記しておく。 ・2002年4月19日 ラジオインタビュー Interview about the Republic of the Marshall Islands focusing on Nuclear Issues and their life at Japan& the Would 44 minutes, NHK Radio Japan (short wave) in English. ※ このラジオインタビューは、高木基金受賞者として呼ばれたものです。 ・2002年4月29日 ゼミ合宿発表 「マーシャル諸島アイルック環礁の人々の暮らし」 (所属している大学院の)西川ゼミ伊豆合宿 ・2002年6月9日 学会発表 「マーシャル諸島の核問題を学びはじめた現地の人々:マーシャル諸島短期大学核研究所を中心にして」 日本平和学会2002年春季研究大会(於:上智大学)平和教育コミッション ・2002年6月10日 大学ゲスト講師 「マーシャル諸島の核実験の概要」 フェリス大学「国際平和論」(担当:横山正樹) ・2002年7月9日 大学ゲスト講師 「1.平和をどうとらえるのか」 「2.マーシャル諸島の核実験」 和光大学「児童文化論」(担当:山崎翠) ※この発表は、高木基金受賞報道(朝日新聞)を見た(かつて教えてもらったこともある)先生から声がかかったものです。 <今後の予定・課題>  進行状況のところで先述したように、今後は、修士論文が予定通り出せませんでしたので、そのしわ寄せがよりはっきりとでてくると考えられます。最終的には、フィールドワーク確保のために本研究の適用期間を半年間延長していただくことも、ご相談することになるのではと考えています。 1.第3四半期における研究は、修士論文提出が12月なので、修士論文執筆作業に集中しながら進めていきます。研究作業としては、引き続きデータを分析し、文書を書いていくことが主となります。こうした過程の中で、現地調査では、よりどのようなデータを集める必要があるのかについて、明確になると思います。但し、海外調査に出かけて、新たなデータを集めにいくことはできないでしょう。 2.第4四半期における研究は、修士論文の成果と課題を踏まえて、海外調査に出て行きます。但し、この時期は博士課程の(1次・2次)入試及びその手続き・卒業式と重なり、日本を離れにくい時期でもあります。(計画段階では、修論を6月提出して、入試は6・7月と念頭に置いていた)。現在のところ、この時期に少なくとも、合間を狙って、米公文書における調査は可能かと考えています。ただし、最大の悩みはマーシャル諸島におけるフィールドワークの時期をどう確保するのかということです。マーシャル諸島アイルック環礁まで足を伸ばすとすれば、数週間では研究になりませんし、又そう簡単に日本との往復は出来ませんので、正直頭を悩ませています。そこで選択肢として、半年位伸ばしてもらえれば、4月以降の入学並びに奨学金手続き終了後に、マーシャル諸島の現地フィールドワークを実施しようかなとも考えています。 3.何はともあれ、高木基金に募金を寄せてくださった多くの市民の方々に想いを馳せながら、引き続きこつこつと研究を進め、最終的には皆様方の期待に応えればと思っております。

結果・成果

完了報告から
調査研究の成果  私は2002年度研究助成申請でお約束したように、米国の核実験場であったマーシャル諸島におけるヒバクシャ調査を(社会科学の観点から)進めてきました。本研究の最たる特徴は、ヒバクシャの視点により立脚して、核問題を見ていこうとする点です。但し、修士論文提出が半年遅れ、修士論文執筆と博士課程入試準備がずれ込み、当初の計画にあったフィールドワークの時間をとることが出来ませんでした。しかし、こうした中でも、今まで得てきたフィールドワークをまとめ分析したり、先行研究や文献資料を収集し分析したり、核兵器問題全般や国際関係学や平和学分野の知見を深めたりしながら、研究の輪郭をより強固に固めることが出来ました。具体的な研究成果として、マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識をある一定明らかにすることが出来ました。  アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識を明らかにすることは、今まで核兵器問題を論じる時に、核開発の現場に暮らす人間集団や核開発に動員される人間集団の存在が、議論の脇へ置かれてきたという問題意識から出発しました。ヒバクシャによる核実験認識に関して、その3つの変遷を明らかにしました。 1)1954年3月1日の「ブラボー実験」直後、当時のアイルック環礁住民にとって核実験なるものは、戦争や人生最期をも想起させた、正体不明の爆音や閃光であったことを明らかにしました。アイルック環礁は、「ブラボー実験」の爆心地から約540?離れかつ、米国によって核被害が認定されていません。しかしそんなアイルック環礁でも「ブラボー実験」当時、混乱と衝撃が広がりました。住民401人の間には、正体不明の現象に対する恐怖・心配・脅威が広がっていきました。「ブラボー実験」の時、(いつもと何ら変わらない朝を迎えようとしていた)アイルック環礁住民の頭上にも、突然閃光やキノコ雲が出現し、爆音が鳴り響きました。アイルック環礁の地面も揺れて、風圧も感じられていました。同時期、米国側はアイルック環礁へも放射性降下物が達していることを確認し、避難を検討していました。 2)「ブラボー実験」から5日後に行われた米特別調査隊の説明を境に、当時住民の眼には、核実験なるものは(第二次世界大戦時の「爆弾」と同様な)「一過性の『爆弾』」であり、終わった問題に映っていったことを明らかにしました。当時住民は、その「爆弾」に伴っていた放射性物質なるものの重大さには全く気がついていませんでした。しかし次第に、ヒバクシャは、放射線物質なるものの重大性に気がつき、「核実験」は終わった問題ではなくなっていったのです。時を同じくして、米国は、避難措置をとらないことを決定し、その後は追跡対象とせず、アイルック環礁のヒバクシャの存在に目を向けなくなったのでした。 3)「ブラボー実験」から40数年以上が過ぎ去った今日、ヒバクシャは、核実験なるものを「『ポイズン』をまいた『爆弾』」であると認識し、自らの生活への影響を感じ、不安や脅威を覚えながら暮らしていることを明らかにしてきました。アイルック環礁のヒバクシャは、「ブラボー実験」から40数年間、生活上の一つひとつの異変を心に留め、同時にいわゆる核実験の影響に関する諸情報を外部から耳にしながら、「ポイズン」を伴った「あの爆弾」によって、アイルック環礁が影響を受けているのではと疑いを深めていきました。「あの爆弾」による影響を実感していったヒバクシャの間では、私(たち)は「ポイズンがまかれた爆弾」による被害者だとの意識が高まりました。こうした被害者意識から、ヒバクシャは、核実験補償を当然受けられるべきだと考えるようになっています。アイルック環礁のヒバクシャが長年感じてきた「ポイズンをまいた爆弾」の影響に対する補償問題は、「ブラボー実験」から40数年の時を経て今、ようやく話題にされてきています。  このように本研究では、核兵器問題を、核兵器開発の現場に注目し、そこを生活の場とするヒバクシャの目線から論じようと、ヒバクシャの核実験認識とその変遷を明らかにしてきました。核実験問題は、核実験が実施された時には注目され議論されるものの、核実験が使用されれば終わった問題として議論されない傾向が続いてきました。しかし、核開発の場とされた地で暮らすヒバクシャにとって、「核実験」は未だ過ぎ去った過去として語れる物ではありませんでした。ヒバクシャの核実験認識を明らかにする中で、核実験以後の生活上の異変を心に留めながら、「ポイズン」がまかれた核実験による日常的な不安や脅威に直面しているヒバクシャの存在が明確にされました。核実験による日常的な不安や脅威に直面しているヒバクシャの存在は、アイルック環礁がそうであるように、核保有国によって核被害が認定されていない地域にも広がっていることが予想されよう。「ポイズン」に対して日常的な不安や脅威に直面しているヒバク地域や、ヒバクシャ集団に対して、彼らの声に耳を傾けることが求められよう。日常的な不安や脅威に直面しているヒバク地域や、ヒバクシャ集団に対して、どのように平和を築いていくのかは、国際的な核兵器問題の1つとして位置付けられる必要があろう。とりわけ日本の市民社会には、広島・長崎・更には第五福竜丸などに対する蓄積があり、国際的なヒバクシャの平和構築への応用と彼らとの相互交流が求められよう。

その他/備考

対外的な発表実績
02年4月 『ピースデポ会報』 第10号、4面 「スローガンの土台を伝えよう」(フォーラム「世代間の対話」:なぜ、平和運動は若者に広がらないのか) 02年4月 Japan & the World 44 minutes, NHK World Radio Japan “Interview: Conducting Research People of the Marshall Islands Exposing Nuclear Testing” 02年5月 『被団協』 第280号、1面 「『ヒロシマ・ナガサキ』の対話・協力を広げよう」(高橋昭博さん<元広島原爆資料館館長>への返信) 02年6月 日本平和学会2002年春季大会平和教育コミッション 「マーシャル諸島の核問題を学びはじめた現地の人々:マーシャル諸島短期大学核研究所を中心にして」 02年6月 『フェリス女学院大学:国際平和論』ゲスト講師 「マーシャル諸島の核実験の概要」 02年7月 『和光大学:児童文化論』ゲスト講師 「『平和』をどうとらえるのか:戦争と平和に関する児童文学を学ぶにあたって」 02年12月 2002年度早稲田大学提出修士論文。 『マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識:ローカルから見たグローバルイシュー』 03年3月 『平和学基礎理論研究会』 「マーシャル諸島アイルック環礁のヒバクシャによる核実験認識」 03年3月 『中国新聞』3月3日24面 「ヒバクシャ忘れまい:被害研究の早大大学院生・竹峰さん」 今後の展望  市民社会の一員として私は、今後も研究の視点をいかして、「ポイズン」に対して日常的な不安や脅威に直面しているヒバクシャ(やその可能性のある人間集団)の存在を視野に入れて、今日の核兵器問題全般に意見表明をしていきたいと考えています。  私は、市民社会に研究成果を還元し、かつ研究テーマを市民社会の活動の中から見出す研究者でありたいと思っております。具体的には、2004年「ブラボー実験(ビキニ事件・第五福竜丸事件)50周年」を盛り上げるために、企画作りに参画し、又自らも積極的に発表を引き受けていきたいと考えております。現在も、財)第五福竜丸平和協会、日本平和学会有志、朝日新聞の記者などから相談を受けております。更に、この機会にも、マーシャル諸島の各問題に関する本の出版にも挑戦したいと考えております。  私は、研究の知見を現地のマーシャル諸島民と共有し、彼らの現実から次なる研究テーマを見出す研究者でありたいと思っております。具体的には、研究成果を英語に翻訳をして、今年夏に訪れた時にお世話になった人へ直接手渡し、意見交換をしたいと考えている。又、マーシャル諸島には、学ぶ姿勢を大切にしつつも、自らがグローバルな場や日本で得られた知見も共有するように心がけたい。  今後の研究としては、2002年度の研究の中から課題として浮かび上がってきた、核開発の現場とヒバクシャに対してどのように平和を構築していくのかということをも射程に入れていきたいと考えている。こうした観点をも持って、早速、7月から9月にかけて、ハワイ大学とマーシャル諸島へ訪れようと計画中です。又、マーシャル諸島のローカルで見出されることを、よりグローバルな観点から分析し普遍化する視覚をもてるよう、核兵器問題に関わる国際的動向にもより敏感になり、かつ国際政治学・平和学・太平洋島嶼地域研究の知見にもより造詣を深めていきたい。

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