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第1回(2001年度)助成選考の講評

 第1回(2001年度)助成先一覧

2000年に死去した高木仁三郎は、原子力資料情報室代表、日本の原子力批判の第一人者とりわけプルトニウムの鋭い批判者、市民活動家として、1997年にはマイケル・シュナイダ−とともにライトライブリフッド賞を受賞し、国際的にも高い評価を得ました。

彼は最後のメッセージで「後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。」と述べ、原子力のみならず現代の巨大科学技術のあり方を根底的に批判しました。

「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」の宮澤賢治の言葉に共鳴し、これを模索し、自ら市民科学者を名乗りました。

次代を担う若い人々が希望と勇気をもって地球の未来を切り拓いてほしいと願いつつ晩年は癌治療のかたわら後進の養成に力を注ぎました。

政府の政策を批判する自立した活動を行う研究者が研究・活動費を得ることの困難さを嫌というほど体験した彼は、遺産を市民科学者の育成支援にあててほしいと遺言しました。

多くの人々から賛同金を得て、高木仁三郎市民科学基金(高木基金)は設立されました。

高木基金は、日本、アジアに、一人でも多くの市民科学者を生み出すため、支援するためその活動を開始しました。

昨年10月の1周忌に開催した「高木仁三郎メモリアル−市民科学のめざすもの」で助成募集要項を発表し公募を開始し、国内から55件アジアから9件の応募を得ました。

書類審査でえらばれた候補者は公開プレゼンテーションの場でそれぞれの研究、研修をアピールしました。

これを経てこのたび高木基金理事会では別紙のように助成者を決定しました。

高木基金は、助成者からの研究・研修報告書の提出をもって助成活動の終了とするのではなく、市民科学者をめざす人々が相互に連携を保ち、その研究・研修成果を社会にどう活かすかの道をともに探り、同時に市民科学者の相互交流ネットワークづくりに力をいれたいと思います。

高木基金は学歴職歴肩書きなどの形式的資格を重視する既存の助成機関とは一線を画し、個人の研究業績のためにではなく、公共性を体現し、結果を社会に還元したいという明確な視点をもった人の調査研究・研修計画に助成を行い、市民科学者をめざす人を励まし支援していきたいと考えます。

高木仁三郎市民科学基金
代表理事 高木久仁子・河合弘之

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