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「放射能を測り続けることは、健康に不安を抱える人を支え続けることだと思います」

  木村 亜衣さん (いわき放射能市民測定室たらちね 事務局長)

高木基金が2011年の福島第一原発事故直後から複数回にわたって助成をしてきた「いわき放射能市民測定室たらちね」の木村亜衣さんにお話しを伺いました。
(インタビュー実施日:2023年2月8日/(聞き手:高木基金事務局長 菅波 完)


――たらちねさんには、高木基金として2012年から助成をしてきましたが、 あらためて設立の背景などからお話しいただけますか。

木村 たらちねは、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け2011年11月13日に開所しました。被災地のお母さんたちが、家族と子どもの命を守るため、安全な食材を求めて、健康に生きるための放射能測定を開始しました。

――応援してくださる方は、どれくらいおられるのですか。

木村 累計で1万人以上いらっしゃいますね。

――そうですか。それはありがたいですね。

木村 当初は、放射能測定室として開所しましたが、今は測定の他に、クリニック、心のケア、保養事業、甲状腺検診という大きく5つの事業で活動しています。

――クリニックは、お医者さんが常駐しているのですか。

木村 はい。医師と看護師が常駐して、内科、小児科の診療と、無料健康診断を行っています。最初は「こどもドック」という名前をつけて、お子さんの健康を見守るために健康診断を始めたのですが、2年前から高線量地域で働く人たちの健康を見守ろうということで、そのための無料健康診断も始めています。

――木村さん自身は、いつ頃からたらちねにかかわっているのですか。

木村 私が関わり始めたのは2014年です。ハローワークから応募したんですけれど、実は、子育てと仕事の両立がしやすい条件だったので入職しました。

――そうだったんですか。

木村 何が良かったかというと、 就業時間が9時から2時だったんです。私は最初、パートタイマーで入りました。子どもを見送ってちょっと家事をして出勤して、子どもが帰る前にお買い物を済ませて家で待っていられる。お母さんとしてはすごい理想の環境でした。

──いまは事務局長ですね。

木村 2014年からだから 9 年目になります。 早いもので、もうそんなに経ったのかという気持ちです。

――2011年の事故当時はどうしておられたのですか。

木村 当時は、給食センターで働きながら子育てをしていたのですが、事故の直後は地震と津波しか考えていなかったので、原発事故が起きて、もう何をどうしていいかわからなかったですね。インターネットとか周りの人の話を聞いたりして、子どもたちを守るために、一応避難はしたんです。千葉県に避難して、放射能から免れたと思って、3週間ぐらい子どもたちを外で元気いっぱい遊ばせていたんです。後でたらちねに入って、千葉県も汚染されていたということを知りました。

――千葉のどのあたりに避難したのですか。

木村 千葉市です。それも学校が始まるまでで、大丈夫かなという不安はありつつ、 周りの人たちが学校に戻って、子どもたちを通学させるというのを聞いたので、何の違和感もなくいわきに戻って、普通にマスクだけさせて子どもを通学させていました。そういう意味では、その時にはまだ、放射能のことがよく分かっていませんでした。だから当時のことを後悔している母親の一人なのです。

――現在、たらちねに来る方の中で、人数的に多いのはどの分野ですか。

木村 昨年は甲状腺検診の方が多かったですね。甲状腺がんにかかった若い人たちが裁判を起こしましたよね。あの後、新規の甲状腺検診の申込みが結構ありました。また、福島県の検診も縮小されているので、たらちねで健診を受ける方が増えています。

――そのような不安を抱えた人にとって、独立した検査機関として、頼れるところがあるというのは重要ですね。

木村 一方で、今は、高線量地域で、若い人がたくさん働いているんです。女性の警備員なども増えています。
 先日、たらちねの関係者で、福島第一原発の視察に行ってきたのですが、第一原発に入って、食堂とか休憩室等の建物があるところで、 空間線量が毎時1μSvくらいありました。そこで防護服も着ずに、マスクもしない状況で、作業員の人たちの安全が守られている場所だと説明されても、それでいいのかと思いました。しかも若い子たちが多くて、ついこの間まで学生だったんだろうという子が、マスクもしないで歩いているのを見ると、私たちの健康診断や尿中セシウムの測定、甲状腺検診など、できる限り続けていかなければいけないと、改めて実感しました。

――毎時1μSvは一般環境の20 〜 30倍ですよね。

木村 原発構内も事故から12年近く経っていますが、これから20年、30年と仕事が続いていくのだと思いますし、もっと線量の高いエリアも残っているわけで…

――福島第一だけでなく、中間貯蔵施設もありますしね。

木村 当然、粉塵を肺に吸い込んだりするようなところで作業する人たちがいるわけです。 その人たちがどのような健康管理をして、放射能に対してもどのような知識で作業しているのか。もちろん、年取った人だから大丈夫ということではないですが、東日本大震災の時には小学生ぐらいだったような若い人たちが、いま、福島第一で働く社会なんだと思うと、複雑な思いです。

――なるほど、 よく分かりました。 話題を変えて、 現在、高木基金の助成を受けて取り組んでいる福島第一原発沖での海洋調査について説明してください。

木村 現在、たらちねでは、 年に4回、 福島第一原発から1.5km沖の4カ所の海水と魚の調査を行っています。あわせて、福島県沿岸の8カ所の海水の調査をしています。測定しているのはセシウム134、137とトリチウム、ストロンチウム90です。

――この調査は、始めてからどれぐらいになりましたか。

木村 2015 年から開始したので今年で8年目になります。この8年間で、海洋調査のやり方もレベルアップしてきて、最初は漁船で、揺れも大変だったのですが、いまは釣り船で、しかも富岡港から出港するので、第一原発沖まで約20分です。行くたびに、汚染水放出のためのトンネル工事が進んでいる状況もすぐ目の前で見られます。

――政府と東電が海洋放出の準備をすすめる中で、それに納得していない立場で、海洋放出に備えた調査をする気持ちを聞かせてください。

木村 何より子どもたちに綺麗な海を残したいという気持ちですね。私たちの測定結果では、いまの福島第一原発沖の海水のトリチウムは検出下限値以下です。鹿児島の川内原発の周辺や、六ヶ所再処理工場沖、福井県の原発近くの海水では、トリチウムが検出されています。専門家は、福島で、今までもトリチウムを流していたといいますし、実際、今もサブドレンからの放出水などが海に流されていますが、実際に福島の海で採水した結果、トリチウムは検出されていません。

――海洋放出に反対し、監視していくために、市民側が独自に調査し分析していくことはとても大切だと思います。

木村 月に1回、汚染水海洋放出反対のスタンディングをやっているので、私たちも参加して、子どもたちのために、汚染水を海に流さないで、という声を上げています。今年の春か夏から放出するという話ですが、私は本当にあそこから流すのか、まだ信じがたいというか、信じたくないというか。ここまで福島を汚しておいて、本当にまだやるのか、という思いです。

――今回、政府はGX(グリーントランスフォーメーション)と称して、原発の積極活用に舵を切ろうとしています。その基本方針などでも、「福島復興はエネルギー政策を進める上での原点である」とか、「福島第一の廃炉と福島の復興は政府の最重要課題」だということが強調されています。木村さんは、実際にいわきで生活をしていて、「福島の復興」という言葉をどのように受け止めていますか。

木村 廃炉と復興を繋げるのは、大きな間違いだと思いませんか?どう繋がっているのか、よくわからないです。いま、帰還困難区域を無理やり解除して、まだ放射線量が高い場所に人を帰還させて、それで復興だとか、復興予算で立派な学校を建てているけど、 私たちからしたら、それは 全然復興ではないと思います。
 政府の最重要課題だとか、正体がはっきりしないものが、福島の人たちの気持ちとも全然違うところで語られていると思います。何をもって復興というのか。生活が元に戻ったら復興なのか。でも、心が追いついてない人はいっぱいいますし、心の復興はどうするのかと思います。

――そうですね。例えば、昔のように山菜取りができたり、そういう普通の暮らしが取り戻せるということでしょうか。

木村 それも個人個人で違うと思います。奪われたものがものすごく大きいわけです。たらちねでは、心のケアにも取り組んでいますが、これからも一緒に考えていくしかないと思います。

――ところで、昨年7月の成果発表会で、たらちねさんの放射能測定について学会で発表した際に、トリチウムの海洋放出は安全だという「科学者」と称する方から、冷たく突き放されたという話がありましたが、 あらためてどのようなやりとりだったか聞かせてください。

木村 2022年3月に、高エネルギー加速器研究機構などが主催する「環境放射能」研究会で、たらちねとして、電解濃縮装置を使ったトリチウムの測定について研究発表をしました。発表の後、Zoomのブレイクアウトルームに質問したい人が入ってくるのですが、そこで専門家の女性研究者から、「どうして海洋放出してはいけないと思ってるのか」と聞かれました。「ALPSで処理した水は、綺麗な水じゃないですか」と。私は、あれは汚染水であって、処理水ではないですと言いました。そうしたら、「科学者の目からみれば、あれは流していい、安全な処理水よ」と言われました。私は、放射性物質が混ざった処理水で、自分の子どもたちの大好きな、きれいな海を汚されたくないと反論したのですが、「だから何度も言ってるでしょ、科学者の私から言ったら、全然綺麗な、流して問題ない水ですよ」と言われて。

――それはひどいですね。

木村 「科学者の私から言わせてもらうと」ということを何度も言われて、本当に悔しくて。この研究会は、専門の科学者ばかりで、NPOはたらちねだけ、他に専門家ではない発表者は飯舘村の伊藤延由さんくらいだと思います。私たちは煙たい存在だったのかもしれません。

――いわゆる「科学者」だけで、内輪の議論をしているだけでは意味がありませんから、木村さんたちが中に入って物申すことは、とても大事なことだと思います。

木村 私はもう悔しくて。あとから、(たらちね理事長の)鈴木も加わって、「あなたたち科学者は、原発事故由来の汚染水が海に流れることを容認しているのですか? 福島原発以外でも原発由来のトリチウムを流していますが、 それも容認しているんですよね?」と言ったら、「容認はしていません」と答えました。私には「ALPS処理水は流しても害はないから大丈夫」と言い、鈴木から強く問い詰められると「容認していない」と逃げる。最初は、汚染水放出について、何かの役割を背負って、放出推進の立場で発言したのだと思いますが、 個人としての考えを問われると「容認していない」と答える。結局、言っていることのどちらが本当なのかわからない状態になりました。 科学者の思考の曖昧さと無責任さを見た気がしました。

――高木仁三郎さんは、科学者として、「市民の不安を共有する」ということを重視していました。そもそも、海水で希釈すれば放射能を放出していいというのは、とうてい認められない話です。そもそもALPSで処理するとしても、放射能が消えてなくなる訳ではありません。ALPSで処理をしても、吸着剤などに高濃度の汚染物質は残るわけで、むしろ、 それをどうするかということこそ真剣に議論するべきです。トリチウムのリスクを無視したPRが繰り返されて、本当に対処が必要なところから、社会の注意がそらされていることが問題だと思いますし、そういうことに無頓着な「科学者」は、極めて無責任だと思います。

木村 そうですね。とても参考になります。ありがとうございます。

――あらためて今後の活動への思いを聞かせてください。

木村 私が思っていることは、次世代にこれ以上、迷惑をかけたくない、子どもたちが希望が持てる世の中であってほしい、ということです。やっぱり自分の故郷って、自分が住みやすい街であって欲しい。それは子どもたちもそうだし、その先に生まれてくる子たちにも住みやすい街であってほしいっていうことが一番ですね。
 放射能を測り続けるということは、健康の不安を抱えている人たちを支え続けるということだと思います。原発事故があっても原発を利用しようとする、社会のゆがんだところに筋を通そうとする活動でもありますね。諦めて逃げてしまうのはすごく楽ですけど、それで次世代の子どもたちが苦しむと思うと、母親の立場としてはどうしても今のうちに何とかしてやりたいと思います。
 先ほどお話した作業員の人たちとか、原発事故の後始末をする人たちの健康も守っていかなければいけないと思います。彼らがいなかったら、福島第一原発は、今だってどうなるかわからないですから。

――そういう人たちを使い捨てにするようなことがあってはならないですよね。今後のたらちねさんの活動に期待しています。ありがとうございました。


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