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「地震と原発」中間報告会

2007.7.15 武本和幸さんの報告

『地震・火山と原子力発電施設』

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武本和幸さん

 さて、私が「何故原発に係わるようになったか」からお話します。

 多分、この電気も東京電力の地域ですから柏崎の原発からきているかと思います。ところで、柏崎の原発は7基ありまして、今日現在は4つが止まっていて、3つしか動いていないのですが、その柏崎刈羽原発の3キロの地点で生まれました。原発のことが噂の形で出ていたのが1967年、高校3年の時でした。

 その後、大学に入って、1968年、教養の地学の講義でプレートテクトニクスの話を聞きました。ちょうどその頃、柏崎に原発を造るという話があり、これは何ともおかしいから止めてもらわなければならないとの想いがありまして、こんなことに興味を持ち始め、原発の反対運動をするために地元に戻りました。

 地元では土木の調査だとか測量や設計に従事しながら反対運動をやってきました。そういう中で、もう一つの見方で見ると、柏崎は日本の石油産業の発祥の地なんですね。西山油田という石油の井戸が私の生まれた辺りにあって、古くは日本書紀に782年に越の国から燃える水を献上したという記録があるんだそうです。そうして明治の中ごろから出雲崎の尼瀬(あまぜ)というところではじめてアメリカから石油井戸を掘る機械を持ってきて井戸を掘ったという地域です。原発が始まる前は地質調査というのは石炭を掘るとか、金や鉄を掘るとかの鉱山のためのもので、その周辺で地質学というものが確立してきたと聞いていました。

 柏崎刈羽というのは、新潟県の地層の名前がほとんどあの地域なんです。地名が地層の名前になるみたいなところで、原発の話が出てきました。原発は海岸方向に3.5km、奥行き1.3kmくらいの敷地を買収して、その中心に原発を並べるという計画が発表になった。それが1968年、1969年頃です。ところが漁業交渉をする度に、ここに原発を造りますという位置が変わるんですね。敷地の中で。何か地盤に問題があるのではないかというような疑問を持ちまして、こんな道に係わり始めました。


スライド1

 次々と原発が出来て行く中で、柏崎は地震のこと、地盤のことを問題にしなければならないとの想いがあって、いろんなことをやってきました。

 新潟は地盤というか地質のことを言うと、堆積岩──海の底に、あるいは湖の底に積もった土砂が固まってできた地域なんです。

 そんな中で、実は柏崎の6号、7号がABWR(改良沸騰水型軽水炉)という新しいタイプの原発だということで、初めて大間にそういう計画があるので手伝ってくれという話が出てきまして、大間のことに係わりました。

 現場に行ってみると、新潟の地質とぜんぜん違っていて、溶岩の貫入だとかが結構見れるんですね。新潟では地質学はかなりローカルな話と全体の話が判らないと見えないみたいなことがあるんですが、活断層の年代が昔は1万年だった5万年だったのが、今回は12〜13万年という議論になりました。

 そんな古い時代のことを誰が見ているんだということになりました。日本では、文字の記録はたかだか2000年なんかしかない訳です。西暦六百何年に大化の改新があったとか、正確ではないですがそこらから文字の記録はあるんですね。それ以前は文字の記録はなくて、土器や古墳から見る考古学の領域になります。

 それより地質学は、古い時代の中で議論がされます。柏崎の活断層の議論の中で、火山灰の話が出てきました。この火山灰の話は、今から8万年前の阿蘇山の4番目の噴火があって、その火山灰が全国に積もっています。その地層が断層を起こしていれば8万年以降に活断層が動いたことになります。こういう話に柏崎の地盤との議論との係わりで付き合ってきました。

 さて、1968年がプレートテクトニクスの提唱された年です。なぜかその年に、教養の地質学の先生が話をされて、そのときに大変興味を持ちました。それ以降は何とか原発を止めさせるために係わってきたんです。

 しかし、駄目でした。

 それは、耐震工学や土木工学は物を造るための手続きといいましょうか、屁理屈といいましょうか。道の設計をやっていて、最初からこの道は駄目だとかはコンサルタントをやっていると言えないわけです。「ここに道を造るから、いくらお金をやるから報告書をまとめれ」となるのが全ての仕事な訳です。

 そんな状況の中で、建設に反対して駄目にする方向はないかといつも考えていて、反対運動の中でぶつかったことを言います。

 今日はここらがおかしいよとしか言えないかと思います。しかし、何人かの専門家の人と付き合ううちに、今の科学の体系の中にこのことは検討対象になっていないことが判ってきました。そういうことをこれから言いたいと思います。


スライド2

 この絵(スライド2)は、気象庁のHPの中で、地震だとか火山だとかを一緒に取り扱っているということが判りました。先程来、同じような絵がいろいろ出てきましたが、これはおそらく東京の方から北海道を見ての断面です。

 次に引用したのが反対になっているんですが、太平洋プレートが沈み込む。で、ここが大きなプレート境界の大きな地震の起こる場所。そして、深さが100キロくらいまで潜っていきますと、なんかこの中に含まれている水が、水のために溶け出してマグマとして上ってくるんだそうです。

 ところどころで噴火をするというのが火山。そして地表の浅いところに活断層を起こすような地震が起きる。これは私が言っているのではなく、気象庁が言っている。これはなるほどなと思います。


スライド3

 次に行きます。

 これは誰でも見れるもので、どこで地震があったかを示すものです。

 気象庁の地震カタログというところがありまして、東経の何度何分から何度何分、北緯の何度何分から何度何分で、深さとどれだけの範囲の地震記録のいつからいつまでを表示しなさいとインターネットで繋げて検索するとこんな絵を描いてくれます。

 これがプレートの沈み込みです。今日話をする下北半島に、青森の北から函館の北まで、太平洋のプレートの中で地震が頻繁に起きていますし、地表にも浅い地震が起きていますということを示しています。


スライド4

 これは先程の気象庁のHP(スライド2)と同じようなものです。

 何回か話になっているものですが、(スライド2の)反対方向からのものです。地表の活断層は逆断層タイプのものと、横ずれの断層があることが書いてあります。

 日本は面積にしては地球の0.2%と非常に少ないのに、うろ覚えですが、世界の地震の一割が日本周辺に起きていることも、なにかの本に書かれています。


スライド5

 今日、私以外の人が言ったのは地震で揺れたときに原発が持つかどうかという議論です。

 これは皆が心配しています。もうひとつ、柏崎で議論しているのは、地震も小さな地震しか想定していません。もっと大きな地震が来たらどうなるんだという他に、乗っかっている地盤が動く、動いても安全なのか、動かないから安全なのかという議論をしてきました。

 東京電力も国も乗っかっている地盤が割れるようなことがあれば原発は造りません。こういうことはありませんと言っています。これを考慮したら絶対に出来ませんが、柏崎ばかりではなかったんです。青森の原発は再処理工場を含めて、これが動くような場所にあることは、ほぼ判ります。

 それから火山の問題です。火山の問題はほとんど検討されていないということが判りました。大体距離にして30kmくらいにあった場合にどうなるかということは一応検討するようにはなっているようです。しかし、実際問題、青森で大間という原発は恐山という火山から25kmしか離れていません。陸奥燧岳(ひうちだけ)から17kmのところにあります。

 こういうところで火山が噴火した時の検討はどうなっているのかというと、大間の原発については、「途中に山があって、恐山の火砕流はこっちには来ないから大丈夫です」という話にしかなっていません。

 それで良いのかという話です。このほかに地盤が壊れるかどうか、火山が噴火したらどうなるかということ、まあこういう3つのことがあるわけです(スライド5)。


スライド6

 今のプレート境界の地震、活断層の地震があります。そういうのが動いた時に原発はどうなるのかという問題です(スライド6)。

 原発が乗っかっている地盤は断層で切れています。これが新しい時代に動いたという証拠があります。柏崎では8万年の地層を切った上に乗っかっている。それがもう一回動いたらどうなるのかという検討がされていません。

 それは以前5万年という基準があって、5万年の層を切っていないから大丈夫だという言い方になっていて、5万年の層を切っている場所が一杯あるのですが、これは全て表面の地すべりのせいだと検討から外れているんです。

 それから、こんなことは今まで誰も言っていなかったことですが、火山が噴火したらどうなるかということをどこまで検討すべきなのかが問題です。


スライド7

 さて、これ(スライド7)は私が作った絵ですが、この波線はいろんなところに公表されている海面の高さの図です。おおむね6000年前くらいが一番暖かくて、今より海面が6m高かったわけです。

 縄文海進というような言い方をして、関東の地域ではかなり奥まったところまで貝塚があるなんて聞いたことがあります。奥まった地域は埼玉や栃木で、いろんなものが出ています。それが標高6mぐらいなんだそうです。

 青森では三内丸山遺跡、あの下の沖積平野の面は今5〜6m。あそこまで海が来ていた時期があったということです。

 1万8千年前には海面は120mまで下がっていました。で、5万年というのは根拠がないんですが、今の一つ前の温暖化時期で、これは第四紀といって、百数十万年間で何回も繰り返されているそうですが、十数万年で何回も繰り返されている周期の、一つ前の温暖化の時期がこれで、海面の絵の何かを転記したものがこれです。

 これが何だかというと、この太いのが阿蘇山の噴火で、それから島根県の大山(だいせん)の噴火、それから今から7300年前に鹿児島の南に鬼界カルデラというところがありまして、これが噴火した。13万年の間に10回くらいでっかい噴火がありました。


スライド8

 その後は、サミットの開催される洞爺湖、支笏湖、北のカルデラ、それから十和田湖が噴火しています。

 十和田湖は西暦715年に噴火して火砕流がここらまで達して能代川という縁に平安時代のお寺だか関所の跡が埋まっています。江戸時代に見つけられています。北にはカルデラ湖が一杯あります。


スライド9

 大きな噴火をしているのはここらにも、そして阿蘇、鬼界カルデラ、姶良(あえら)……。

 ここにいくつもあります。こういう火山があって、この被害がどの辺まで及んだか。

 もう十年前でしょうか。雲仙普賢岳がここです。ここに火砕流が起きて、消防の人やテレビや警備の人が40人も亡くなりましたが、ああいう火砕流とも規模が違うようなものです。


スライド10

 火山の噴火は、クラスがいくつかあるそうですが、小さな噴火から最大噴火10kmというのは支笏湖とか洞爺湖とか十和田湖とか火山の径がこれ位になります。こういう噴火が1万年位に一回起きているということが判るんだそうです。

 こういう噴火が阿蘇山の火山灰がどこまで行っているかが判っているのを上げると、根釧平野に15cmで、九州の噴火が北海道の果てに15cm積もっているという噴火です。


スライド11


スライド12

 これは、阿蘇山の噴火で、火砕流がどこまで飛び散ったかを示す地図(スライド11、12)。山口県の秋吉台に行っています。8万年前のことで誰も見ていないのですが、地層を調べると判るんだそうです。

 これは多分阿蘇山の噴火で、ここに15cm積もっている。ぽつぽつとあるような火山灰はこれです。


スライド13

 これが7300年前の姶良(あえら)、鬼界カルデラ、これが鉄砲伝来の種子島。これが縄文杉で有名な屋久島。縄文杉はこの噴火の後です。これの火山灰はここまで行っているそうです。火砕流は鹿児島の川内までいってるんです。

 実は耐震指針の分科会で10万年の議論、さっき言った13万年の議論をした時に火山を検討しないで良いのかと石橋さん以外の委員が言ったそうです。自分の経験では、原発敷地内で火砕流が堆積している場所があるんだけれども、今回こんな指針を作るとどうなるんだと意見があったが、それはこれこれはそれ、そんなことこんなことを考えたら原発は造れませんとなり、おしまいになったとのことです。

 こういう議論は中ではあったんですが、そんなことを今まで誰も外には言ってませんでした。


スライド14

 これは火山灰アトラスです。それぞれの跨った様な領域の専門家が集まって造っている第四紀学会の人らが作ったものです。火山灰がどの噴火から来ているか、どこから来ているかが書かれています。

 これは、火山灰についてですから、10pや20p降ったとしても、雪が降ったようなもので、それほど問題ではないでしょうが、火砕流が起きる噴火は問題があります。

 火砕流が起きる噴火は100q、こんなことがあった時にどうなるかを議論しなければならないのではないかと思っています。このようなことが、いつの頃から問題にされていたのかはわかりませんが。


スライド15

 1989年に、山縣さんという都立大学の地理の大学院の方が修士論文で、函館の火山灰を調べました。

 ここらの海岸に直径1mもの火山の噴出物があるが、それがどこから来たのかは誰も判りませんでしたが、山縣さんが、これは、ここの汐泊川(しおどまりがわ)の沖合の-50mに窪地があって、それが噴いたんだ、と調べました。

 その証拠に、火砕流の堆積物の径が、ここらが最大で、そこから離れると小さくなることから、この辺のどこかにあるはずだということで調べたら、そこに銭亀火山があったわけです。

 そこから20キロの地点で火砕流が30mも積もっていました。これは4万年位前のことです。氷河期の、寒い時代です。海面が70m〜80m下がっていた時に、当時の海抜20〜30mで噴いたために火砕流が流れ着いたものです。

 先程、阿蘇山や鬼界カルデラなどの話をしましたが、そういうことを繰り返しているのが、日本列島だということです。


スライド16

 つぎに、上澤さんと3月か4月に下北半島のいろいろな核施設について検討しました。昔の安全審査の申請書には、こんなことは何にも書いていません。むつ市に中間貯蔵施設が出来る時のものがあって、30km範囲の微小地震を書いたものです。小さな活断層地震です。活断層の範囲内で、陸のプレート内の地震です。

 これは何かというと、銭亀火山(北海道函館市汐泊川河口沖約2.5kmの海底にある火山。水深50m、火口の直径はおよそ2km)で、銭亀の兄弟が今まさに生まれているんではないかと思っていますが、こんなことを言っている人は他にいません。


スライド17

 さて、銭亀はここで、函館はここで、大間原発はここです。これが陸奥燧岳(ひうちだけ)という火山、これが恐山、ここらが六ヶ所や東通(ひがしどおり)原発中間処分施設などがあるという位置関係です。

 先のような窪地は津軽海峡にいっぱいあります。だから、他にも火山があったのではないかと、そう言ってくれる人を探しているのですが、そういう人はいないそうです。

 この辺に青函トンネルを掘ったんですね、これがこっちに行くか、こっちに行くかを比較するために、丁寧に海底地形を調べています。

 海面が120mまで下がった時には海峡の幅は川ぐらいの幅しかなかった。そういう地形も判っているんだそうです。そういうところにも窪地がたくさんあって、これらが銭亀の兄弟の火山ではないかと言っているのは私と海渡先生しかいません(笑)。私は、原発を止めさせるために何か理由はないかを探しているんです。


スライド18

 ここでは、こんなにいろいろなものがありますよ、ということをお見せします。ここが銭亀火山で、ここが六ヶ所再処理工場で、東通(ひがしどおり)原発という位置関係です。


スライド19

 ここには新しい火山が出来そうだということが判ったので誰に聞いたら良いか考えて、役所だろうということで、函館の国会議員を通して気象庁に聞いてみました。

 銭亀の兄弟は火山の卵ではないかと思うが、こんなものは他にもあるのかと質問しました。そうしたら、2枚の紙をくれて、こういうものは、低周波地震と気象庁は分類しているようです。いつから判ったのかと聞いたら、4年前との答えでした。こういうものは、たいがい今の活火山の近くです。

 さて、さっきのこれは銭亀の兄弟、つまり火山の卵と思うんだが、これを否定できるかどう思うかを聞いたところ、可能性は否定できないとの答えでした。

 ただ一番考えられるのは、陸奥燧(ひうち)岳から10kmぐらいだから、その根っ子がまだ冷え切らなくて残っているのではないかと思いますがと答えたので、質問主意書を出したら誰が答えるのかと聞いたら、私が答えますとの回答でした。そんなことは誰も調べていないので、可能性は完全には否定できないとのことでした。これは6月14日に東京に出てきて聞いた話です。

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