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高木仁三郎さんが亡くなって20年になりました


                                2020年10月8日
支援者のみなさま

                           高木仁三郎市民科学基金
                           代表理事 河 合 弘 之

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 2000年10月8日に高木仁三郎さんが62才で亡くなってから、ちょうど20年になりました。その年の12月に日比谷公会堂で開催された「高木仁三郎さんを偲ぶ会」の壇上で、私は参加されたみなさんに、高木さんが残された『高木基金の構想と我が意向』、すなわち、高木さんの遺産を第一の基金とし、さらに趣旨に賛同する一般のみなさんからの寄付を募って、次の世代の「市民科学者」を支援・育成するための「高木基金」を立ち上げて欲しいという高木さんの遺言書を紹介し、「今日は帰りの電車賃だけ残して、あとはすべて寄付して帰ってください」と力の限り訴えました。今となっては懐かしい想い出ですが、あの当時は、高木さんを失ったことの喪失感とともに、高木基金を、まさにゼロから立ち上げなければならないという使命感で、私自身も必死の思いでした。会場のみなさんは、それに応えてくださり、「偲ぶ会」の会場で1,665万円もの会費・寄付が集まり、高木基金発足の礎となりました。
 その後、多くの方に支えていただき、2001年9月にNPO法人として高木基金が設立され、高木さんの没後1年のメモリアルイベントで、第1回の助成募集を開始しました。それから2020年3月までの19年間で、日本国内およびアジアの個人・グループを対象に、累計408件の助成を行ってきました。助成総額は2億1,610万円となりました。ここまで高木基金の活動を続けてこられたのは、みなさまからの様々なかたちでのご支援、ご協力の賜物であり、心からお礼を申し上げます。

 言うまでも無く、高木さんが亡くなってからの20年間は、東京電力福島第一原発事故の前と後で、全く別の時代となりました。原発事故後、高木基金としても、目指してきた「市民科学」の真価が問われる状況に至ったとの想いから、事故から2ヶ月後に緊急助成の募集を開始し、より積極的に助成研究を行うための寄付の呼びかけを行いました。
 思いがけずいただいた高額のご寄付により、2013年には原子力市民委員会を立ち上げ、脱原発社会への政策転換を目指し、具体的で現実的な政策提言と「公論形成」の場をつくることに取り組みはじめました。
 幸い、2011年度から2013年度に、複数の大口寄付が寄せられ、また2018年度には高額の遺贈を受けたこともあり、3・11後の原発問題に関わる助成を重点的に行いつつ、原発問題以外の幅広い「市民科学」の課題へも助成金を支出してくることができました。

 残念ながら、2017年頃からは大口の寄付が減少しておりますが、一般の方からのご支援は、設立の頃から継続して支援して下さる方、あるいは新たに高木基金の活動を知り、支援をして下さる方もおられ、支援者数は毎年800名から900名で推移しております。このような多くの方からのご支援こそが、高木基金の活動を支える柱であり、高木基金の活動に、大きな期待を寄せていただいていることを実感し、大変心強く思っております。
 おかげさまで、高木基金としても、来年9月に法人設立から20年の節目を迎えることとなります。理事会、事務局としても、引き続き地道な支援拡大に取り組んでおりますが、設立当初からの社会の変化をふまえ、高木基金の助成のあり方、組織のあり方についても大胆に見直していかなければならないと考えております。
 今回、支援者のみなさんに発送した「高木基金だより」No.52 でも、過去の助成先へのアンケート調査の報告を掲載しておりますが、今年度から来年度にかけて、見直しの議論をすすめていきたいと考えております。支援者のみなさまにも、忌憚のないご意見などをお寄せいただければ幸いです。

 ここ数日、就任したばかりの総理大臣が、日本学術会議の会員任命において、特定の候補者を任命しなかったことが明らかになりました。科学者の独立した組織として、「わが国の平和的復興」や「人類社会の福祉に貢献」することを使命とする日本学術会議の会員を、政権が恣意的に選別するようなことは、断じて許されないことです。この問題については、まず、日本学術会議が、不当な介入に対して毅然と対応すべきですが、私たち一般の市民としても、学問や研究の自由が、このように極めて危うい状況にあることを再認識し、声を上げていく必要があります。
 ご承知の通り、高木仁三郎さんは、大学で核化学を専攻し、卒業後は原子力産業の開発研究にも従事しました。その後、科学者としての自らの進むべき道に悩む中で、宮澤賢治の「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」という言葉に触れ、強い衝撃を受けたと述べています。その後の高木さんは、都立大学助教授の職を辞し、原子力資料情報室を立ち上げ、「市民科学者」としての生涯を全うしました。
 高木さんが亡くなって20年が経ちましたが、今こそ、私たち一人ひとりが、私たちに必要な科学とは何か、それをどうすれば私たちのものにできるのかを問い直し、私たち自身が主体的に行動する必要があると思います。高木さんの遺志に基づいて設立された高木基金の活動は、その実践の一つだと考えています。

 新型コロナウィルスの感染拡大で、何かと行動に制約が多く、不安のつきない毎日ですが、ともに力を合わせて頑張りましょう。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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