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「人間がモノのように使い捨てられるのは許せない」

                  なすびさん(被ばく労働を考えるネットワーク)

高木基金が2017年度から3年間にわたって助成し、原発被ばく労働に関する国際的な調査研究に取り組んでいる「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさんにお話を伺いました。
(インタビュー実施日:2019年9月/聞き手:高木基金事務局長 菅波 完)



― なすびさんが被ばく労働の問題に関わるようになったきっかけから教えてください。

なすび 私は大学3年の時に、山谷の日雇い労働をめぐる映画『山谷−やられたらやりかえせ』を観て衝撃を受け、それをきっかけに、山谷の支援活動に関わるようになりました。その映画を東大の五月祭に観に行ったのが1986年で、ちょうどその日に雨が降っていて、チェルノブイリ原発事故からの放射能に汚染された雨だということを気にしながら本郷に行ったことを覚えています。
 当時から、写真家の樋口健二さんのお話しを聞いたりして、原発における被ばく労働のことはずっと関心を持っていました。それでも山谷では、被ばく労働に関する取り組みはできていませんでした。一つの理由は、山谷から原発の仕事に行っている人が少なかったこと。そして、原発に行った人も、そのことをなかなか話してくれなかったこと。もう一つは、仕事が無い中で、原発に行くなというような取り組みが成り立ちにくかったということがあります。

― 「なすび」というのは活動家としての名前ですね。

なすび 当時の山谷などでの活動では、ヤクザに狙われたりすることから、みんな通称を使っていました。「なすび」という名前は、労働者がつけてくれたのですが、実は、なぜ「なすび」なのか、理由を聞けないまま、その人とは会えなくなってしまいました。

― 今回の助成研究は、日本とフランス・ドイツ・ウクライナ・韓国・アメリカとの比較の中で、被ばく労働をめぐる問題を研究するものですが、海外の実情はいかがですか。

なすび ヨーロッパなどでは、日本よりもしっかりした労働安全制度があるだろうと思ってはじめましたが、現地調査をしてみると、実態は問題も多いとわかってきました。
 フランスでもドイツでも、労働組合に入っているのは、電力会社の社員ばかりで、現場の下請け労働者を主体にした労働組合はありません。ドイツでは、原発で働いて、法定の被ばく限度を超えたケースはないというんです。行政に聞いても、労働組合に聞いても。そんなはずはないと思います。実際に被害を訴える労働者に聞くと、自分のまわりに白血病や癌、白内障などの被害を訴えている労働者はたくさんいるし、労災として認めるように申請はしているが、却下され、裁判を起こしているというんです。
 フランスでは放射線被ばくによる労災の件数は統計に示されていますが、医療従事者が多く含まれていて、原発労働者の実態がわからない。
 でも、被ばく労災の立証を労働者に要求せずに「推定原則」で認めるフランスの制度など、日本より遥かに合理的で労働者に寄り添った制度もあり、この点は日本の制度の酷さを改めて感じています。「あらかぶ裁判」に生かせるよう準備を進めています。

― 被ばく労働に関して、他の国と比較して分析したり、改善を求めたりする取り組みが、いままでも行われていなかったということなのでしょうか。この研究をきっかけに、国際的な横のつながりができると良いですね。

なすび いまは僕たち日本のメンバーが各国と個別につながっている段階で、それぞれの国が横につながっていくのは今後の課題ですね。まずは今回の調査結果を英文でまとめて共有したいと思っています。

― あらためて「被ばく労働を考えるネットワーク」について教えてください。

なすび これまで僕たちが山谷でやってきたことは、現役労働者の労働相談や労働争議、野宿者への炊き出しや生活相談、生活保護の申請などです。下請けの労働者は、社会的な力で動員され、搾取され、使い捨てにされる。僕は、人間がモノのように使い捨てられるのは許せないという思いで、ずっと関わってきましたが、元々は労働者のふるさとでの社会的な問題があり、そこで食えないから出稼ぎに来ているんです。
 福島の石丸小四郎さんから、「昔は山谷にたくさん行っていたが、福島第一の建設が始まって、浜通りから山谷に行かなくなった」という話を聞きました。たしかに会津からは来ていますが、浜通りからは山谷に人が来なくなっていました。山谷に関わりながら、被ばく労働にも取り組みたいと思いながらできていなかった。そのバックグラウンドがわかっていなかったことに、福島事故で気付きました。
 福島事故の直後に、収束作業で現場に入る労働者のために、「自己防衛マニュアル」をつくりました。内容の半分は、これまでも寄せ場で使っていた労働者手帳。半分が被ばくを避けるための部分で、3月中に案はできていたのですが、自信が無くて、樋口健二さんや藤田祐幸さん、原子力資料情報室の渡辺美紀子さん、全国労働安全衛生センターの方々などに見てもらいました。そこでのつながりから、2011年10月に「被ばく労働を考えるネットワーク」を呼びかけることになりました。ネットワークには、原発で働いていたことのある労働者もいますが、数は少なくて、現役の労働者が主体になっているかたちではないことが、やや弱い部分です。今後、乗り越えていかなければならない課題だと思っています。

― 今回の研究を、「市民科学」という点からはどう考えていますか。

なすび 山谷の運動の中で、当事者がいて、支援者がいて、学問的に関わる人がいて、総合的な関わりの中で物事を変えていくということを経験してきました。「日本寄せ場学会」というのが80 年代から活動していて、寄せ場にかかわる調査研究は、社会学の中で一つの潮流としてありましたので、研究者とも交流がありました。自分たちが研究するというのではなく、研究者に協力するかたちでした。
 しかし、被ばく労働については、学者や研究者がいない。誰かにやって欲しかったけれど、誰もやってくれないので、自分たちではじめることになりました。
 高木基金の助成は、研究資金としてもありがたかったのですが、高木基金の助成に申し込もうと考えたことから、運動の側から研究者に呼びかけて、海外からも人を呼んで、具体的な調査研究をやろうという枠組みを作ることになりました。高木基金に助成を申し込むということがなければ、このようなかたちにならなかったかもしれません。

― 高木基金への助成申し込みが、そのようなきっかけになったとすれば、高木基金としても嬉しいことです。研究の成果にも大いに期待しています。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。


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