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この人に聞く 宇井 純さん


「適正技術」を日本で考える


インドのレディという電気科学者が、適正技術論の主みたいな人ですが、その議論は、たとえばインドで年産100万トンの窒素肥料を作るとする。そうすると当然最新の化学工場ですから、capital intensive、資本は集約型だ。それからエネルギーを大量に使う。そしてそこで働くのは少数の熟練工でよろしい。だから労働節約型だ。インドで大きな化学工場を作るとすると、だいたいこういうものになるというのがレディの言い分ですね。資本はうんと食う資本集約型である、エネルギーは大量に食うエネルギー消費型である、そこで働くのは少数の熟練工であるから労働節約型である。これは近代工業では常識だが、しかしインドはそういう条件はどれも合わない。資本はない、エネルギーは貧弱である、そして労働は非熟練労働者ならいくらでもいると。だからインドの現実にはだいたい近代科学工業というのは合わないのだというのが彼の言い分ですね。



では、インドの農業で必要とする窒素肥料をどうやって供給するか。そこで、牛の糞はだいたい燃料として使ってるんですが、確かに燃えますけど、肥料分は火が空気中へ逃がしてしまう。ですから肥料について、牛の糞を集めてきてメタン醗酵をやることを考えた。これはタダのものを溜めるだけですから、資本については節約型である。エネルギーについてはメタンが出てきますからエネルギーを生産することができる。労働は牛糞を集めてくるだけですから単純労働で集約型。

年産100万トンの肥料工場をどこかに作るのに対して、100トンの牛糞を処理する「溜め」を一万箇所作ったらということになるか。そうすると、得られる肥料ということであればだいたい同じ位の桁になる。しかしインドの現実に対しては、資本が節約できて、エネルギーが出てくる、未熟練労働でも、ともかく使えるということであれば、この方がインドの現実に合っている。

これはインドのレディと言う科学者が書いた論文ですが、読んでみて、日本だって同じようなものじゃないかと思った。日本は、今たまたま金が有るからエネルギーをタダに近い価格で買ったりできますけど、本来、日本には資源なんかない。

私達の世代は、戦争中に教育を受けて日本は資源がない小国であるということを叩きこまれた世代ですから、いま金持ちになって金さえあれば何でも買えるといわれても、どうもどこかおかしいというか、はたしていつまで続くであろうかという不安感は捨てきれないんですね。生まれたときから、高度成長の中で育った人はまた別かもしれませんが、私とか高木仁三郎はそういう世代でして、今の栄耀栄華がいつまで続くだろうかなあというか、どうも仮初めの姿という考えが抜けきれない。

そこで後者のいわゆる「適正技術」、その地域の条件にあった技術というものを考えてみると、もちろん、原発なんかは最初にこれから外れます。シューマッハが「スモールイズビューティフル」で指摘したように、大きくなると非人間的になる。日本中、一万箇所のメタン醗酵の肥溜めが合って、そこから出てくるメタンでエネルギーを作る方が、どうみても人間の規模の技術らしいのです。

「規模の利益」という反論に対して


ところがそこに必ず反論がでてくるわけです。高度成長を経験した我々の時代ですから、大きいことは良いことだ、小さいものをたくさん作ったって資本費が寝てしまうだけで効果が無い。それよりは大きいものを一箇所作った方が必ず単価は安くなる。「規模の利益」ですね。これが必ず議論として出てくる。

いろんなところで議論するたびに「規模の利益」が出てくるものですから、私は、これは高度成長のもとで日本人の心の中に刷り込まれた原理、時代思想のようなものではなかろうかと思うようになった。

ところが私がやっている下水道の世界というのは、実は「規模の利益」がすぐなくなってしまうというか、成立しない世界なんですね。下水管というのは地下へ埋めて下水を集めますから、規模を大きくしますと太い管を深く埋めなくてはならない。したがって、コストはどんどんかかってくる。

下水処理場も一種の化学工場だから、当然規模の利益はあるだろうということで、「0.6乗の法則」と言うのがあって、「設備投資は生産量の0.6乗に比例する」というのが当てはまるはずだという議論があるのですが、実はそういかない。というのは、だいたいどこの町でも地盤が悪い場所に下水処理場を作りますから、基礎費がどんどん増えてきて、ここでも規模の利益が成り立たなくなる。という問題にぶつかってしまった。そうしますと、そこから出てくる結論は、むしろ中小規模のものをたくさん作る方がよさそうだということです。

大規模施設は本当に機能しているか?


それから一箇所に大きなものを作ると、それが壊れた時に動きが取れなくなる。どこの町でも、東京都でも五つ、六つの巨大な下水処理所を作ってますけど、あれははたして動いているのかという議論になるんですね。どうせ東京都のお役人は「動いてます」というが、現場を知っている僕らは、あれは半分は動いてないよという結論になる。というのは、中で働いているのは微生物ですから、そこへ変な工場廃水なんかが入ってくると死んでしまう。また機能するように動いてくれるまでに二、三ヶ月はすぐかかります。一年に二、三回、変なものが入ってくると、一年中ほとんど動いていない処理場になっちゃう。そういうことを表沙汰にされたらかないませんから、下水処理場の水質を測るというのはおおごとでありまして。私は東大の学生実験担当の助手を長いことやっておりまして、そこで東京都の下水処理場の入口と出口の水を汲んできて、学生に測らせるというのを毎年やったわけです。しかしサンプルを貰うのが大変だった。

まず勝手に発表しないということで、教授の判子を貰って来いというんです。助手の判ではだめなんですね。どうしてそんな無駄なことをやるんだって言ったら、前にどっかの業者が自分のところの製品の性能を良く見せるために、ここのサンプルを持ってってそういうことをやったから大変迷惑したと。よって東大の助手であろうと、勝手に発表しないという判子を教授からもらってこいと。

始めのうちはそんなものかと思ってしぶしぶ判子をもらってきたんですが、これはどうみてもおかしいっていうんで、都議会かなんかで突ついてもらったんですね。そしたら次の年から、書類はほとんど同じなんだけど、前の年は下水処理場長宛てだったものが、今度は水質分析係宛ての書類になった。要するに、水質分析係が、自分の責任でそういう書類を受け取っているというか、変なデータを出されないように監視する。助手をやっていたときは、そうやって、ずいぶんすったもんだしました。

測ってみれば確かに水質基準を超えてたりとか、変な時がしょっちゅうあったわけです。だけどそれはそのまま発表されたら困る。だから許可無く発表するなと。現実はそういうものなのですね。

発表されてる報告書をみますと、毎日基準以下にきちんと収まっているようになっている。それは一種の換算式みたいなものがありまして、基準を超えるた場合はこういう風にここを書き直せ、というのがあるんですね。表から見ただけでは分からないようになっている。だいたい役所の報告書はそういうものだと思ったら間違いがない。

水銀を流した経験から


先ほど二桁の差があるということを言いましたが、二桁ではきかない場合もあるんですね。

日本ゼオンの高岡工場で働いていたときに、夜中にこっそり水銀を流した体験を持っています。それが水俣病を調べるきっかけとなったのですが、だいたい一年に50kgくらい流していたと思います。水銀は重いですからね、金属水銀なら50kgといったってこんなものです。三交代で、私と同じ仕事をしてる奴が他に二人いますから、一年150kgくらい流してる。それは高岡工場が1956年にできてからずっとやってきたんですが、1974年になって、日本の全国あちこちで水銀問題が騒ぎになって、通産省が水銀を使ってる工場にどれくらい環境に放出したか報告せよというお触れがでた。そのときに日本ゼオンが報告した水銀量というのはあまりに印象的だったので今でも覚えてますけど、22年間に34kgです。

私が50kg、経験としては一年だけで150kg出してますから、20年間でいえば3,000kg位は最低流していた。それは工場が小さかったときの話ですから、それからどんどん工場が大きくなっていますから、どうみたって大きくなったとしても、少ないということはありえない。しかし3,000kgは最低流したんじゃなかろうかというときに、報告は34 kg。ここできれいに二桁の差が出てくる。

ですから、環境問題、公害問題、あるいは下水道の世界では二桁の差が出ることはあまり珍しくはないということになります。

市民による科学」の可能性


そういうなかで市民が自分で施設を作るということになればどうなんだろうか。

まず公害を測るだけで力関係は大きく変わってくる、被害者が公害の計測をやれば加害者の方は出さないようにいろんな工夫を重ねる。ですから環境問題のいろいろな分野で、市民が自分で計測するようになったらどうなるかといえば、恐らく力関係は大きく変わるだろうと言ったんですが、日本の左翼の政党の人達はそうは言わんですね。だいたい公害問題なんてのはつまらんと。あんなものは資本主義の二次的な害悪なんだから、俺達が権力を取れば自動的に解決する、その証拠にイズベスチアには公害の記事はない、ソ連では公害問題は解決してると。私は「何を言うか」と、ソ連も中国も見て大変だってことはよく分かっているんだからといったら、「あんたは社会主義を誹謗するのか」と言うんです。そこまで言いますと、そこから先は議論になりませんから、じゃ勝手にしろよと、俺はその問題については任せるから、ということになってしまいます。 

たとえば中国の環境問題なんていうのも、とても俺の手には負えない。だから中国人が自分の責任と毛沢東思想で何とかやってくれよ、と放り出したのが1973年。しかし最近になってみますと、そう勝手なことを言っていられないような状況がある。例えば、水俣病の裁判と似たようなものが中国でも起こっている。そうすると、中国の被害者の運動というものに対して、私が知らん顔をするわけにもいかないなという気がして、中国については考え方を変えることにしたんですけど、社会主義に対しては極めて冷酷な態度を取らざるを得なかった。そしたら向こうが消えてしまった。

そういうわけで、「市民のための科学」という議論はずいぶんされたけども、「市民による科学」という議論ほとんどされてこなかったということを、もう一度振返ってみて、そこへ高木仁三郎基金がまさに「市民による科学」というものを目指して、僅かではあるが、研究資金を出してそこを促進しようとしている。これは大変大きな一歩であると考えるのです。

もちろん、今まで科学というのは大金を使って、巨大な施設を作ることが科学であると僕らは叩きこまれてきましたから、なかなか自分の手の届くところにそういうものがあるという実感は出てこないのですけれど、事実、お金はあるところでは唸ってるんですね。中西準子と二人で話して大笑いしたんですけど、応用化学から土木の世界に入ってきて何が良かったかというと、お金の単位が分かったことであると。つまり、兆といえば大金だと。億は土木の世界では「はした金」であると。道路を引くにしても、ちょっと定規がずれたくらいで億の金が増えたり減ったりします。1千万円のものを7億円かけて作るご時世ですから、億なんかははした金です。

だけど我々は税金一万円を収めるためにどのくらい苦労しているのか。そういう苦労をして体験したことは、あるところにあるものを、どうやって「市民による科学」の分野に引っ張り出してくるのかが、これからの課題としてはあるのではないか。特に文部科学省が預かってる科学研究費というのがありますけど、ここでもう一つ勝負する場所があるのではなかろうか、高木仁三郎基金だけではなくて、他にも科学者が勝負をする場所があるということです。

それからもう一つ、下水道というものでさえ、すぐ億のお金が動くんですが、単純な池を作るくらいでしたら市民でもできる。それをちゃんと動かして行くことによって、今度は税金をこっちへ引っ張ってくるような工夫ができるのではないかと思っています。

いま動いているものを調べる


それから、これは午後の研究報告の中で議論されることでありますけど、どういう研究テーマを選ぶか、ということがあります。私も実験屋ですからそこは非常に関心があるのですけど、だいたい実際のものについての研究というのは、今の日本では、かなり分かり易くて良いものができる。

先駆的な例は、グルタミン酸ソーダについて調べた「大きな顔した調味料」という報告が出てますけど、これは実に良くできた調査ですね。それから鶴見良行さん、村井吉敬さん達のグループがやった「バナナと日本人」それから「エビと日本人」という研究報告があります。これも、非常に成功した実例です。

そういう、現に動いているものについて調べるというのは、ここで皆さんにおすすめできる一つではなかろうか。そういう中で、特に下水道がどのように作られ、どのように動かされているかということについて、今、ものすごい規模の金、だいたい一年に3兆円くらいお金が動いている。道路がこれだけ大きな問題になって、だいたい一年に10兆円です。それに次いで大きな長期計画になっている3兆円の下水道であると。下水道についての研究がなされるべきではなかろうか、ということを今日の私の話の最後に申し上げておきます。

(拍手)


司会  どうもありがとうございました。宇井先生への時間配分のご案内が行き届かず、お話が途中になってしまいましたが、会場のみなさんがよろしければ、質疑応答の時間を使って、引き続き宇井先生のお話を伺いたいと思います。

(拍手)



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