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この人に聞く 宇井 純さん



質問  大変おもしろい話を伺いましてありがとうございました。一つだけお聞かせ頂きたいのですが、先生の話の中で水銀の排出の話がでてまいりましたが、その中で100倍の差があるということを述べられましたのですけど、故意に少なくするというのが一般的と解釈してよろしいのですか。

宇井  多分悪意はないんだと思うんですけどね。それで現場でこれまでに排出した水銀を集計せよと上からの命令が与えられれば、いろんな仮定を置いて計算することになったろうと。その時に始めから少なくしようという意思があってやるほど、生産の現場というのは、そんなとこまでとても気が廻らないというか、毎日作れ作れと尻を叩かれていることに精一杯で、とてもデータの誤魔化しなんかやる余裕は無い。

ただ、いろんな前提を置くときに、各段各段で優位なように前提を探そうとするから、こういうことになるんじゃなかろうかと思います。

しかし、いわゆる三菱自動車みたいな例になると、どういうことになるかというと、先々週の日曜日に三菱の設計をやっている技術者を囲んで議論してみたんですね。そしたら彼らが言うのには、あれはどうしてもああなると。というのは、サラリーマンの管理職が自分に都合の悪いことは隠して、下に下にと責任を押し付けてくると、手抜きだと分かっているところでも誰も指摘しない。指摘すれば、いじめられる。それでああいうふうになってしまうのはむしろ必然だと。そうだとすると、この世の中はだいぶ危ない。

それからもう一つ自分の体験でこれは大変だと思ったことは、新潟の水俣病が出た頃の昭和電工の社長の鈴木治雄さんと対談をしたことがあるんです。これも、あんまり公表はしませんよということで聞いたんですけど。

新潟水俣病が出たときに、あなたの周りにいた部下は、これは自分の会社のせいではないとみんな言ったというんですけど、その中に「まてよ」という人はいませんでしたかと。「ひょっとすると、うちの会社は絡んでるかもしれないという人はいなかったのですか」と聞くと、「それはいなかった」というんですね。だとすると、それも怖い話。組織というのがそういうふうに動いてしまうのだとすると、これは今の日本を動かしている組織の中にそういう病気のもとが、あちこちにあるのだということになって、怖い話だなとと思うことがあります。

ゼオンの場合には、数字を誤魔化す程の知恵はなかったという気がするんですけどね。昔働いていた仲間だから、あの連中がやることだからそこまで悪知恵は利かせなかったろうという、それぐらいの見当はつきますけれども、どうも昭和電工の経験とか聞いてみますと、そうも言ってられないなということもあります。


質問  水銀の話が出たんですけれども、1つはですね、もしチェックをするんだったら、購入と材料というのをチェックすれば、2桁も違う報告が出てくるのはおかしいと分かるんじゃないかということとですね。
 もう一つはソーダ塩素について、当時水銀の電解でソーダ塩素を作ってたわけですね。その時に水銀が減ると。どこで減るのかチェックする時に、放射性の水銀を放り込んでそれを追っかけた。そのとたんに、減り具合がなくなったと。なんでかといったら、従業員が持っていってた。当時水銀が高くて、少しずつ弁当箱かなんか知らんけど持っていってた。ところが、放射能を入れたことが分かったとたんに誰も持っていかなくなって、という内輪みたいな話もあるんです。
 もう一つ、昭和電工の鈴木さんの話がでたんですけれども、当時、化学合成工場の従業員は、どぶさらいをやらされたと言うんですよね。水銀がボコボコというか、結構見えていたという話も聞こえてくるんですけど、社長のところまでいっていなかったのかなと。工場の幹部なんかは知っていたはずと、今の先生のコメントで感じたのですけど。

宇井  それで言いますとね、僕らが水銀流しますでしょ。日中はやはり気が咎めるというか、バレますから、日中の班は夜の班に申し送ります。「例のやつが出たけどよろしくな」と申し送ります。これも記録が残らないように口頭で申し送ります。そうすると夜の班は今度深夜の班にまた「例のやつが出たけどよろしくな」と申し送る。深夜の班は心得たということで、2時か3時に流して、次の朝引き継ぐ時に「頼まれた件については片付けた」と、これまた口頭で申し送ります。ですから、証拠は全然残らないんですね。

従って、それは班長クラスでも知っているかどうか。ましてや、製造の課長なんか知りようがないというのが工場現場の現実です。ですから、社長の所にいかないのは当然なんだけれども、その時に常務クラスの幹部の中で、「ひょっとすると出てるかもしれませんよ」というのが一人いなかったことが怖いところですね。

最初の、いくら買ってるから調べれば分かるといっても、確かに入れた水銀は分かるんです。だけど出たのがどこ行くかというのは、工場の中なのか、とかいろいろ前提を置いて計算をするから、環境にいくのはこれしかありませんというふうなことに最後はなってしまう。よく言われるPRTRといいますか、環境にどれくらい産業が物質を放出しているか、いわゆるリスク計算ですね。これについてもかなり疑問を持っているんです。中西準子というのは古い友達ですから、彼女のリスク計算はどこまで信用できるんだという議論をよく他の人から聞かれるんですね。俺はちょっとそっちは自分でやったことがないから判断はしかねる。ベースとなってる数字が、PRTRかなんかですと基本は企業からの申告でしょ。企業からの申告となると、「俺はおっかなくて自分の判断には使えないよ」というのが私の返事ですね。でもリスク計算なんかやる人は他にないからそれを使ってでもやらなきゃなんないという議論になるかもしれない。そういうときに、あの分野については俺ちょっと手が付かないよ、というのは正直なところあります。藤原道長の「紅旗征戎吾が事にあらず」というか、それ自体は慎重になることもありますね。まあリスクの議論についてはちょっとやりかねる、避けてるのが正直なところです。


質問  農業がこれまで工業を追いかけてきて、最近の工業はむしろ農業に回帰すべきじゃないかという話を大変興味深く聞きました。ここで紹介していただいた、養豚場の下水処理施設の話もそうなんですけど、例えば1トンの下水を処理するのに100トンの貯水槽を作って、それだと30トンの水がきても大丈夫だという話がありましたけれど、これは言ってみればシステムとしては、冗長なシステムをつくるという意味で、効率というのはなんなんですけど、冗長で、あまり実現しにくいシステムじゃないかと思います。この養豚場のケースでもよろしいですし、先生ご専門の下水の一般的な話でもよろしいんですけど、下水処理関係の分散型のシステムを実現・普及するために必要な、経済的あるいは社会的要因とはどのへんにあるとお考えでしょうか。

宇井  私は村長だと思う。つまり地方自治体の長がね、「俺の村はこれでいくぞ」というやり方を決めるかどうか。しかしそうしたら補助金は切られる、切られても皆で知恵を絞って生きていくぞというんだったらやっていける。田中康夫はある程度まで長野県でそれを実行した。それに対する土木工学者の反感というのはものすごいですね。私も土木屋の議論なんかをちらちら土木関係のホームページで見ると、田中康夫のことはほんとクソミソだね。田中康夫がやってることは技術的な裏づけも何もなきゃ、大向こう受けの完全な無策であるというふうな悪態が本当に書かれている。

だけど日本みたいな地形の急峻なところで、しかも雨の降り方の変動の極めて大きなところで、大きなダムをつくることの合理性といったら本来無いのだが、本来無いことを我々随分やってきている気がするんです。だから、田中康夫が言ったことはそれほど奇妙ではない。

私は、栃木県で育って実家が栃木にありますから、時々帰るんですけど、あそこに思川開発というかなり大きな、1,000億円くらいかな、ダムの計画があるんですよ。それは南摩川という小さな、流域としては数平方キロしかないくらいの河川に大きなダムをかませるんです。

確かに地形からいうと確かにダム屋なら、何やら作りたいと思うような地形なんですね。こう山が迫っていてその後ろが広くて巾着みたいに谷が広がっている。あれを見たら、ダム屋だったらあそこに絶対作りたいと、生きがいとして思うような場所なんだけど、肝心の河川がないんです。しょうがないから周りの河川から引っ張ってきてそこへ貯めて、下流の利水に使う。だから、治水効果は全くないダムですよね。

こんどの川辺川なんかでは治水だ治水だといっているんですね。あるいは長野の浅川ダムでもそうです。治水効果のためにダムを作る。栃木県では治水効果が全くないダムをよその川から水を取ってきて貯めるという無理をして作る。確かに彼らはモノを作ってメシを食うのが職業だから、朝から晩までそれを考えているのでいろんな理屈は考えるだろう。だけどやっぱり今の世の中はどうみてもおかしいよという感じが、ダムだけじゃない、下水道なんかでもそう思いますよね。

例えば下水道の経済性を検討する、或いは現状がどうなってるかを報告する研究チームを僕は提案しようと思うんです。エンジニアと経済学者と市民が入って、はたしてこれでいいのかということを調べる。絶対今やらないと、65%下水が普及しちゃってるわけですから。もう少し前だったら、かなり税金の浪費の節約ができたかもしれないけど、今ちょっと手遅れ気味なんだけど、それでもやらないよりはましなんじゃなかろうかというようなことは感じてます。

しみじみ、何故こんなことをもっと早く気づかなかったのだろうと、つまり東大の学生実験の助手をやってる頃に、まだ下水道の普及率がせいぜい5〜10%の時代に、学生に対して、作るときはもっと慎重に考えようではないかということを何故言わなかったんだろうと今悔やまれますね。

もちろん学生実験担当助手ですから、当時としては学生にはそれ以外触らせないわけですね。講義をさせない。学生実験担当助手として限られた接触時間、まあ時間は長いんですが、その間に何を伝えるかということで、こっちも一応必死に考えたのが、94年にNHKでやった人間大学のシリーズ「日本の水はよみがえるか」というのですけど、つまり水の奇妙な物性から始まった。何で氷が水に浮くかとか、あるいは4℃で最大密度があることとか、もしこれがなかったらどうなのか、水が普通の物質であれば我々は存在するかとか、そういうふうな議論は多少やったんだけれども、下水道まではとてもいかなかった。そういう話です。もうちょっと時間が有るか、或いは早く気が付いて、学生にこれはおかしいよ、もうちょっと考え直そうやと言ってたら、今こんなに税金の無駄使いをせずにすんだんじゃなかろうか。

ところが、今の実際の地方自治体というのは金を食う下水道を抱えちゃって、毎日下水道の料金をつぎ込まなければなりませんから、その穴埋めで、結局弱い福祉だとか教育だとか医療だとかいうところを使って下水道の穴埋めに廻している。そういう状況なんですね。

それはやっぱりおかしいよ、俺達はこれでいこうという度胸の有る村長がなぜいなかったんだろうか、あるいはこれから出てくるかどうか、それによってこの国が助かるかどうか。だいぶ小泉は食い荒らしてひどいことをやってくれたけどね、これを取り返すのは容易ではないと思うけれども、日本が助かるかどうかは、私は自治体がどれだけ腹をくくるかというのがあると思うんですよね。

国の政治については、残念ながら日本の左翼は失敗した。それで、自民党、民主党も似たようなもんだっていうか、アメリカが二大政党だったら、じゃあアメリカと似たような結果にしかならないだろう。そういう点では、私は、国の政治についてはちょっと悲観的ですね。私が生きているうちに、もっとまともなものになってくれるかっていうと、そうなってくれたらいいがなあ、という感じですが、村長だったら、来年から腹決めればすることができる。下水道やめよう、その分の金を教育に放り込もうとかね。そういうことができると思います。下水道なんて、こんな簡単なものを作って、失業対策で作ったってできるんですから。何も補助金を全部切られたって、かえって安くなると思いますよ。

ただね、補助金ていうのは現場の人に聞くと金額ではなく一種の保証なのだと。つまり、宇井さんの言うことはもっともだ。しかしもし私がそれをやって万一失敗したら私は責任を取らなければならない。だけど、補助金の付く、建設省や厚生省の下水道し尿処理を入れてきて、上手くいかなくたって、それは補助金を付けた役所の責任であって私の責任ではないと。補助金ていうのはギャランティーなんですよ。
そしてそのギャランティーから抜け出せなかった日本の政治、或いはそこをきちんと説明して別の道もあると説明できなかった日本の技術者。これは自分も含めて責任が大きいと思うことはありますね。
専門性の中に逃げ込んじゃって、どうせお前ら分からねえだろうということで、勝手なことを本当にやり放題にやってきた。道路もそうです。下水道もそうです。それから土地改良もそうです。要するに長期計画といっているやつはみんなそうです。原発もそうです。そこは素人にわからないということで一番専門家というものを盛り立ててきた分野ですよね。同じような症状が、実は他の分野にも出てきた。



宇井  最後に、川本輝夫が、水俣病の運動の先頭に立っていた彼が言っていた言葉ですが−

『日本人は水俣病だよ。
 視野が狭くなる。そして、右手と左手のやることがちぐはぐ。
 知覚が鈍くなって何も感じられなくなる。日本が水俣病にかかったんだ。 』

彼はそう言うんです。その通りだなあと思います。さて、そこからどうやって抜け出すか―――。


<会場から大きな拍手>

司会  大変、素晴らしいお話を伺いました。宇井先生、本当にありがとうございました。

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