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高木基金の取り組み

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高木基金の15年を振り返り、「市民科学」の可能性を展望する
−支援者からのメッセージ−


市民的科学と市民的司法の協働を通じて/海渡 雄一さん


 高木基金の設立へとつながった高木仁三郎さんの訴えを振り返ると、そのポイントは、科学者は原子力に代表される国家・企業に支えられる科学のあり方を見直し、科学者は公害や原子力開発に抗して闘う市民・住民の側に立って、ともに闘う市民科学者であるべきだとされたことだろう。
 私は、約35年にわたって、高木さんの弟子の一人として、原発訴訟を手がけてきたが、もんじゅ訴訟では、高木仁三郎さん、久米三四郎さん、小林圭二さんたちとともに闘い、一度は高裁勝訴判決を得た。一審で敗北し、東京高裁に係属中の浜岡原発訴訟では、石橋克彦さん、田中三彦さん、井野博満さん、立石雅昭さんたちにご尽力をいただいた。私が手がけた科学訴訟には、他にJCO損害賠償訴訟や航空機事故訴訟なども含まれるが、多くの専門家の協力が必要であった。
 福島原発事故は、多くの科学者の覚醒を促し、市民的科学者の裾野は大きく広がった。社会の一線で技術者として活動されていた方々が、退職後、社会活動として市民の活動を支えて下さっている。原子力規制委員会の公職をされていた地震学者の中からも、今の規制審査に疑問を提起する例がいくつか出てきた。さらに、川内原発訴訟では、現職の火山学者の多くが、規制委員会の見解を正面から批判する異例の展開となっている。
 ここで、重視しなければならないのは、市民的科学・市民的司法の経済的な基盤を誰が支えるのかと言うことである。科学者も弁護士も経済基盤がなければ持続的な活動はできない。市民的科学・市民的司法は市民の支えによって運営されるべきである。しかし、それは容易なことではない。実際には膨大なボランティアワークによって、市民的科学・市民的司法は担われているのが実態である。こうした中で、高木基金が15年にわたって続けてきた基金の運用は、市民的な科学に経済基盤確立のためのきっかけを与えるという意味で、とても大切な実践であった。
 次の課題は、大学を含む科学政策全体の改革である。国の科学政策、大学における科学研究の体制を変えないと創造的な科学は生まれない。クリエイティブな再生可能エネルギー技術を生み出すような市民的科学技術の拠点が求められている。とはいえ、他方で原発の輸出や防衛研究に大学が協力するという憂慮する流れもある。科学を誰が担い、誰のために働くのか、今まで以上に鋭く問われる時代が来ている。高木基金のますますの発展を祈念してやまない。



高木仁三郎基金設立15周年によせて/七沢 潔さん


 そうですか、もう15年が経ちましたか。そうすると高木さんが亡くなって、もうじき16年ということですか。早いものです。でもそう感じるのは我々がこの間とても大きな体験をしたからかも知れません。
 もちろん311と福島の原発事故です。
 それで、後付けっぽいですが、いま思えば、この大きな試練を乗り越えるために高木さんは原子力資料情報室や高木学校、亡くなってから生まれたこの高木基金、そして世界とつながる脱原発運動を残したのかも知れないですね。
 そうなると311後の5年、基金にとっては後半の5年に、いったい何がなされたのか、がやはり問われますね。え、もしかして原子力市民委員会はどうなの? ってことになっちゃいますかね。
 うーーん、言いにくいな、それは。でも言いましょう、この際ですから。
 5年前の発足記念の記者会見に行った時に、正直違和感がありました。
 どなただったか、プレゼンターが
 「この委員会は誰から見ても文句のつけようのない大学教授などの有識者にお集まりいただきました」
 不正確も知れないけれど、こんなようなことを言っておられました。
 ちょっと椅子からずり落ちそうでした。
 これって政府や一流といわれる企業が主催する「有識者会議」なんかにつけられる勿体書きじゃない?
 いまはやりの「第三者委員会」とか。そんな突っ込みをしたくなっちゃいました。
 ちょっと古いこと言っているようだけど、昔から原発反対運動を担ってきた人々は、そういう「誰から見ても・・・」なタイプの人たちではなかったような気がします。
 (どっちかというと頑固で個性的ゆえに孤立もするが、それを怖れない、勇気のある人たちでした。)
 高木仁三郎さんも、大学助教授の職を投げ打って野に飛び込み、原発立地の漁村や農村の人たちと対話しながら闘いに必要な「知」を共有してきた人ですから、この「勿体書き」を聞いたらどう思ったでしょうか?
 幸い、集まった方々はご経歴もお人柄はもちろん、信念も立派な信頼できる方々で、委員会も順調に動いてきたようです。先日私も公開委員会にご招待いただき、「テレビと原発報道」について講演させていただきました。
 委員の方々も熱心にマスメディアの厳しい状況に耳を傾けてくださいました。
 でも気になることがありました。「原発とメディア」というテーマはそれまで委員会では論じられてこなかったそうです。むかし原子力資料情報室に「テレビは見ません」という人がいて驚いたことがありますが、市民委員会なるものは社会の人々が原子力に対して抱くイメージなり認識なり、共有している情報などにもっと敏感になった方がいいのではないでしょうか。その鍵となるメディアの問題が後回しになっていたのは、いただけないですね。
 これが、先述した「大学教授のような有識者」主義が災いした結果でないことを祈るばかりです。
 ちょっと、きついもの言いになりましたね。でもいましばしお聞ききください。
 高木さんが「市民科学者」としての自らに課したのは、敬愛した宮澤賢治が「雨ニモ負ケズ」の中でつづった「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」「サムサノナツハオロオロアルキ」の部分、つまり苦楽を分かちあいながら、「民」とともにあることでした。腰はなるべく低く、おのずと目線も低く。
 アカデミズムの世界で身についた腰が高く、目線も上からのエリート主義に決別する自己変革こそ、「市民のための科学」にたどり着くために、必要な試練だったと思います。
 だから、そのような志を引きつぐ高木仁三郎基金が主催する原子力市民委員会も、外からどう見えるか、なんて(政治家のような)イメージ戦略を考える前に、真に市民の目線に立った委員会として、市民に役立つ報告や提言を発信し、それゆえ多くの市民が関心をよせる存在となることを期待します。
 そして、高木仁三郎基金が、初志を大切に、これからも「市民のための科学や活動」への支援を継続されることを願っています。
 最後はちょっとマジになりましたね。ご盛会をお祈りしています。


山岡 義典さん


 設立以来、強い意をもって着実な助成活動を進めてこられたことに敬意を表します。
 多くの人の支えがさらに拡がり、社会的な存在感がますます強まってくることを期待しています。


山本 喜代子さん


 公開フォーラムのお知らせをいただきました。私はシルバー化学者で老齢の為、残念ながら参加できませんので、一言書かせて頂きます。
 あの福島の原発事故に遭遇しても原発再稼働が止まらないのは不思議です。避難計画が十分にできていれば良いと言うのも不思議です。
 台風や洪水で避難の場合には、収まれば元気に帰れます。しかし、原発事故で避難した場合には収束したとしても帰れません。その上、避難中に被曝、一生の健康被害を受けます。
 また、夏の猛暑の日には、熱中症にならないように外出は控えろ、大雪や大雨の時も外出は控えるようにと親切なアナウンスをしていますが、原発が灼熱の日中に、暴風雨・暴風雪の夜中に事故しないという保証があるのでしょうか、事故をしたら、前門の狼、後門の虎になるでしょう。また地震も時を選ばず起こります。原発設置の周辺の皆様、どうぞそのことを考えて、廃炉に動いて下さい。 
 「高木基金」の会員が10万人になる様に友だちに勧めています。フォーラムには入会して下さった一人の友だちが、毎年、参加され、様子を話して頂いております。


安(田中) 咸子さん


 第二次世界大戦の総括が不十分なまま71年が過ぎようとしている。
 若い世代に市民科学の眼を十分に伝えきれているだろうか?
 特に大学教育の責任が大きいと言える。この5〜6年の間に変革をしなければ経験した人達がいなくなってしまうだろう。


井戸川 克隆さん


 福島は非道なことを行っています。この者達は隠れているようですが段々と世間に解られてきています。被ばくから人体を守るため、これからもご尽力下さい。


瀬川 嘉之さん


 15年と言うと長いようですけれど、短いものです。次の15年も短いでしょう。しかし、その年に生まれた赤ちゃんは15歳で高校生。その年の高校生は30歳で、もう子どもがいるかもしれません。
 私は高木学校で活動してきたので、今あらためて高木基金15周年の案内をいただき、高木学校と高木基金のちがいを見ると、高木基金のご案内には「「市民科学」をめざす」と書いてあり、高木学校は当初から「市民科学者をめざす」と書いてあるのが大きなちがいだとわかります。ずいぶんいろいろな活動をしているようで、社会には「市民科学」も「市民科学者」もほとんど認知されていないと言って過言ではないでしょう。
 16年前に高木仁三郎さんが『市民科学者として生きる』を書いて亡くなり、その前に『市民の科学をめざして』を書いた頃とほとんど変わらないどころか、後退しているようにさえ感じます。かつての自然科学者はもっと広く物事を見て、もっと深く物事を考えていたように思います。どうして今の自然科学者は視野が狭く考えが表面的なのでしょう。私自身がそのようにしか感じられないように変化したからだけのことなのでしょう。かつての自然科学者たちだって原発を容認し、被ばくを受忍させ、被害者の気持ちがわからず、米国の世界戦略に追随し、自衛隊と軍隊の区別を曖昧にし、日本国憲法の真意をまったく次の世代に伝えて来なかった付けが今になって回ってきています。今の私たちはもっと悪い。
 次の15年に向けて自分自身が何をどうしたらいいのか、考えてやり続けるのみです。


大久保 徹夫さん


 原発を含む核の問題は、日本に留まらず世界的な問題です。
 世界の指導者は核の問題について、まず核兵器削減から始めていますが、これも音頭ばかりはいいのですが、実態は停滞しています。
 原発問題についてはその利便性との関連でむしろ拡散しつつあります。
 そのような状態を変革できるのは世界の市民の力しかありません。
 この日本の中で、この意味で木基金の果たす役割は非常に重要です。
 日本での核の封じ込めと同時に世界市民との連携も進めて行って欲しいと思います。


矢間 秀次郎さん


 映画の脚本・製作を担当している矢間です。
 おかげさまで2013年公開の長編ドキュメンタリー『シロウオ〜原発立地を断念させた町』は74回上映され、5,600人の方々が観て下さいました。
 先月『続・シロウオ』として『埋もれた「原発黒書」〜核を抱きしめたニッポン』をクランクイン。広島・ビキニの被爆者がご出演くださり、来年6月の完成をめざしています。


斎藤 邦人さん


 事務局の皆様が、軸となる高木様が逝去された後に、長い間、基金を運営されていることに、多くのご苦労があったかだろうと想像します。15年おつかれさまでした、また、これからのご活躍をお祈り申し上げます。
 金権政治が幅をきかせる中、日本の科学者、市民運動も低迷しているように感じ、この基金の重要性を感じます。
 ほんの少ししか、参加したことがありませんが、これまでの高木基金の活動をフォーラムでうかがうことで、自身を見つめる機会にさせて頂きたいと思っています。
 15周年、おめでとうございます。今後の皆様のご活躍を祈念いたします。


片岡 洋子さん


高木基金の活動を続ける事が大事なことと考えています。


末石 冨太郎さん


 フクイチ事故の後ようやく、「脱原発」派が多少力をもつようになったが、政権レベルでは依然、原発依存度を一定割合に保ち、国際的には技術輸出をすら重要視している状態を死守していると言わざるをえない。
 こういう状況で、今回鹿児島県知事選で元テレビ朝日アナだった三反園訓氏が現職を破って当選し、早速九電に対し再稼動許可を得ている川内原発の「再検討」の動きを開始した。規制委の審議の最大の弱点は、原発事故時の避難計画の判断をすべて地元自治体(つまり都道府県、したがって知事)の意向に任せている点である。鹿児島の場合には川内容認の立場にあった前知事を選んでいた県民が着眼を変えた、といってよい。
 筆者にはその理由を指摘する資料を現在持ち合わせがないが、原発運転と桜島火山活動の関係の報道や知事選自体での三反園氏の演説が効いていたと想像できる。こういう仮説のもとでだが、高木基金の市民科学活動での「原発避難計画調査」は極めて重要な意味をもつ。
 そもそも原発立地では原則的に経済的にも問題を抱える僻地を選んでいて、その論理はフクイチ事故以前に研究着手されていた開沼博の『「フクシマ」論』(青土社)に詳しい。筆者が考えるに、佐田岬半島のような交通不便地に立地する伊方原発や県境を越えた避難が不可避の若狭湾岸に原発銀座を置くことなども、避難計画実施の困難さを度外視してきた証拠であろう。筆者がもしもう30歳若ければ、FoE Japanの満田夏花さんグループへの協力を申し出るところだが、85歳の重傷老人には無理なのだ。
 筆者自身のこれまでの経験には、反原発関連の著書はもれなく読んだこと、某女子大文学部で「原子力概論」(女性学的立場からの反原発論)を1986年度(のChernobyl事故直前)から5年間実施できたことである。市民科学関連では、吹田市の財団法人千里リサイクルセンターに1992年度より市民研究員による研究所をたちあげ、予算は高木基金に及ばぬながら、研究員が市民向けに出前授業を行うなどの工夫がなされている。いずれにしろ、現日本のすべての社会側面で市民力を発揚すべきこと、特にマスメディアの深慮が必要である。
 ここまで書いた直後、柏崎刈羽原発運用に慎重であった新潟知事泉田裕彦氏が再出馬意向を撤回したと報じられた。推進派の画策があったな、と疑わざるをえないだろう。
 なお、添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)が述べているように、専門科学分野にはしばしば政策介入の余地がある。市民科学はこの点を凌駕せねばならない。


鈴木 祐子さん


 少し前まで人と人とが共有していると思っていたものが急速に失われ、現在、すべてが混沌へと向かっているように感じています。そうした中、あらゆる人が認めざるを得ないことを提示し、そこを出発点にすることが求められていると思います。その意味で、客観性をもったやり方=「科学」が大変重要です。権力に追随した御用学者の偽科学を打破できる力を、市民が持たなければなりません。それらを支え、先導する高木基金の活動に期待しています。


牛崎 妙子さん(ラボ・アスナロ)


 原発再稼働が進められていく中で、放射能測定を続けていく必要があり、測定事業への支援を継続していってほしい。(測定室の活動を支えるためのご支援)


匿名


 もう15年経つと思うと、とても速いようですが、その間に震災や福島の事故もあって、更にその後の再稼働への動きを考えると、科学を詭弁にしない歯止めが大切で、それは恒常的に必要なのだと実感します。時代や体制の波に呑まれず、これからも地道に良識を発信し応援していっていただけますよう、切に願っております。


匿名


 15年という長い期間にわたって、地道に高木基金を運営してきてくださった関係者の皆様には心から感謝を申し上げます。これからも市民科学の発展のため、頼れる基金、間口の広い助成元であり続けていただければと思います。



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