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高木基金の取り組み

トップページ > 高木基金の取り組み > 活動報告 > インドネシア出張報告 アジア助成プログラム助成先団体 ジャリアチェ訪問



はじめに

 高木基金ではアジア助成プログラムとして、インドネシアの女性・人権団体ジャリアチェに対し、2012年〜2015年まで、計3回、助成を行っています。今回、2012年〜2013年に高木基金の助成を受けて実施された事業(北アチェ県におけるエクソンモービル社の天然ガス掘削跡地の環境課題)を対象に、助成成果のレビューとフォローアップのため、2016年3月10日〜14日の日程で現地を訪問してきました。
 現地では助成先へのヒアリング、現地視察、行政へのヒアリング等を通して、当時〜現在の状況を把握するとともに、助成先の調査研究を補完するため、住民の毛髪中の水銀分析を行うことにしました(現地では住民の毛髪採取のみ)。
 今回のインドネシア訪問にあたり、事前準備および現地における通訳兼コーディネートについては、インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)の佐伯奈津子さん、毛髪分析については、一般財団法人水俣病センター相思社の遠藤邦夫さん(高木基金2011〜2014年度選考委員)、国立水俣病総合研究センターの国際・総合研究部の原口浩一さんの協力をいただきました。この場を借りて御礼を申し上げます。
 以下、日程に沿って報告いたします。

3月10日 現地到着〜事務所訪問

 成田からマレーシアのクアラルンプール、インドネシアのスマトラ島メダン(北スマトラ州)と 2回乗り継ぎ、アチェ州北アチェ県のロスマウェ空港に到着しました。
 着陸する直前には、機窓からマラッカ海峡を望む海岸線一帯が見え、そこには天然ガスの液化をおこなうアルン社(現在は国営石油公社プルタミナに譲渡)の白いガスタンクが並び(写真@)、その外縁部にはアブラヤシに水田、木造の家々が並ぶ、典型的なインドネシアの田舎の風景が広がっていました。
 空港から町までの移動の途中、非常に興味深い場所を通過してもらいました。そこはアルン社の工場が建設された際に土地収用された住民が、その後、天然ガス枯渇にともないアルン社が撤退することを知り、土地の返還を求めて周辺道路で座り込みデモならぬ、“住み込み”デモ(仮の家を建て生活しながら声を上げている)を行っている場所でした(写真A)。なお、アルン社の工場は日本の天然ガス開発借款(1974年)が供与されて建設されています。
 仮の家とは言え、現地の家の基準を考えれば、意外にもしっかりした造りでできており、牛が寝そべる様子や、子ども達が軒先で遊ぶ姿など、そこには人々の暮らしがあり、説明されなければそこがそういう場所であることは分からないほどでした。
 その後、ジャリアチェの事務所に向かい、事業についてのヒアリング、現在進行中のプロジェクトの現状確認、併せて翌日以降の日程確認、毛髪採取の手順などの打ち合わせを行いました(写真B)。


@ロスマウェ空港手前上空の機内から撮影した、巨大天然ガスプラント群


A“仮の家”の後方に見える、天然ガスプラントの煙突と噴き出す炎


Bジャリアチェ事務所。事業責任者のハスニ氏(右)とヌルジュバ氏

3月11日 北アチェ環境局へのヒアリング、エクソン社工場跡地他関連施設の視察

  午前中、北アチェ県環境局に赴き、局長のヌルアイナ氏と面会しました(写真CD)。ヌルアイナ氏は、エクソン社について「汚染を片付けぬままに撤退してはならない」と非難はするものの、「(エクソン社の掘削現場跡地については)ジャカルタの環境省専門家チームの調査が入り、汚染土の除染を行い、その後大学に依頼したモニタリングでは問題もなく、今日までに住民からの健康問題の報告も上がっていない」として、行政としては本件について解決しているという認識を持っているようでした。北アチェ県環境局は北アチェ県のあらゆる環境問題を管轄しているため、「とても人手が十分ではなく」「環境問題は金儲けの裏返しで、行政が視察に行けば、(農作業用の)山刀で攻撃されるようなこともある」「問題の大きさの割には立場が弱く、各省庁や議会への協力を呼びかけている」といった状況の中、現在抱える問題に対して手一杯であるといった印象を受けました。  午後は、エクソン社関連施設(専用空港、掘削跡地クラスター群、掘削跡地内の水銀が発見された井戸など)や、近隣のアンぺ村(助成先からの報告で、油性の汚水が川に流れ、アヒルの死骸が見つかったという場所)を視察しました。  掘削跡地は 2012年〜2013年当時、エクソン社が警備しており、敷地内の池はビニールテントでカバーされ、立ち入りが制限されていましたが、「安全確認」がなされた後は警備も撤退し、出入りが可能になりました。現在は雑草が生い茂り、池があったと思われる場所は土で埋められたこともあり、ほとんど水はなく干からびた状態で、地面は所々、黒っぽくなっていました(写真E)。

3月12日 プウク村訪問&毛髪採取

 AM10:00頃プウク村に到着。この村は2004年のスマトラ沖地震・津波で甚大な被害を受けた地域です。海沿いらしく、村の入り口には魚を売る屋台が見られ、海岸近くのマングローブ林では、伝統的な漁でカニを獲っている光景も見られました。一方で、村の中心部までの道の両脇にはエビ類の集約的な養殖池がひしめき合っていました。
 毛髪採取の会場となった集会所の建物には20人ほどが集まりましたが、主に中高年の男性が多く、皮膚疾患を中心に健康不安を訴えている人ばかりでした。
 まず、ジャリアチェより今回の訪問の趣旨説明を行い、続いて、希望者の毛髪採取に取りかかりました(写真F)。手順としては、被験者の髪をカットした後、スタッフが各人の基本情報、生活習慣や住環境(姓名、年齢などの個人情報、魚の摂取量と頻度、UVクリームやパーマ液の使用等)など、分析に必要な情報を聞き取っていきました。


C県環境局にて、局長ヌルアイナ氏(左から2人目)へのインタビュー風景


D環境局の住所は“ エクソンモービル通り”。文字通り、エクソン社の掘削跡地がすぐそこ


E水銀があると知らずに子ども達が遊んでいたとされる、エクソン社掘削跡地内の井戸

3月13日 フン村とデン村訪問&毛髪採取

 この日、午前と午後に分けてフン村とデン村を訪問しました。なお、フン村とデン村は前日に訪れたプウク村よりも内陸に位置し、11日に訪れた環境局やエクソン社掘削跡地を挟むように位置しています。
 まず午前中に訪れたフン村は、プウク村と雰囲気が一転し、集まってきた村人は比較的若く、特に女性や子どもが多く、会場の民家では、お菓子や飲み物が振る舞われ、地域の子ども会のような和やかな雰囲気がありました(写真G)。
 午後に訪れたデン村は、この日、村で結婚式があったため、会場の民家にはその家の家族以外はほとんど集まりませんでしたが(写真H)、フン村とデン村は村名こそ違いますが、地理的には同じ場所にあり、生活様式も同様であるため、毛髪分析のデータはまとめて取り扱いました。なお、毛髪採取は前日と同じ要領で実施しています。
 以上、ほぼ計画通りの予定を終え、翌日、帰国の途に就きました。


Fプウク村にて、ジャリアチェスタッフがカミソリを使って住民の毛髪採取をする様子


Gフン村にて、ジャリアチェスタッフによる毛髪採取についての説明に耳を傾ける住民ら


H“水銀を転がして遊んでいた”本人が、当時の様子をジェスチャーで再現しているところ

毛髪分析結果について

 帰国後、採取した40人分の毛髪サンプルを調査票とともに、国立水俣病総合研究センターに郵送し分析を依頼しました。分析結果は、金採掘者はもとより、日本人と比べても低い値でした。今回の調査は、被験者の確保や比較対象者(地域)の選定について、事前に綿密な調整がなされたわけではなく、適切な条件下で行われたものではないという反省もありますが、今回の分析結果からは、水銀汚染の兆候は確認できませんでした。
 この問題では、汚染源=原因企業がはっきりしていたこと、また一時は水銀が目に見える状態で、住民が触れたりするようなこともあったことから、現地では健康被害の原因を水銀と結びつけて考えてきました。今回の毛髪検査の結果で水銀汚染というべき状況は確認できませんでしたが、一方で、住民の健康不安、汚染の実態が明らかになったわけではなく、改めて、エクソン工場の何が問題か、地域の環境問題は何なのかを問い直していく必要があることが示唆されたのだろうと考えます。

終わりに

 インドネシアのアチェと聞くと、多くの方は2004年に起きたスマトラ沖地震・津波を思い浮かべることと思います。しかし、その場所で内戦が起き、それ故、外国人に閉ざされていたこと、そして皮肉にもその震災を契機に救援を受け入れる形で外に開かれるようになったこと、そして悲惨な内戦へ進む背景には、豊かな天然資源を持つ北アチェを巡る、国の強硬な経済開発があり、地域住民らは開発の恩恵を受けるどころか、それらはほとんど地域外に流れ、むしろ政治的安定を名目にした独立運動の弾圧、住民の人権侵害や拷問、虐殺まで行われ、そこには日本も間接的に加担していたという不都合な事実までは、ほとんど知られていません。
 佐伯さんの著書『アチェの声−戦争・日常・津波』(コモンズ、2005年)の中でも、「天然ガスの輸入の多くをインドネシアに頼る日本は、1970年代から ODAで天然ガスプラントを建設し、日本のエネルギー安全保障という国益を警護する名目で、国軍はアルン社に駐屯し、アチェの人々を尋問し、拷問し、虐殺しているのだ」と述べています。ジャリアチェの取り組むエクソン社掘削跡地の問題は、それだけでも大きな環境問題ですが、歴史的にはこうした深刻な人権問題も引き起こしていたということ、そして、血塗られた天然ガスを知らずに消費していたかもしれない事実も、日本人として知る必要がありそうです。
 もう一つ、現地に行って気づいたのですが、私達が一般的に知る“アチェ”は州都バンダアチェ周辺のことで、そこは外からの震災支援を弾みに復興を遂げ、発展を遂げていく一方、今回訪ねた北アチェ県は“もう一つのアチェ”であり、そうした外的支援が弱く、経済的、物理的にはもちろん、人材育成、教育環境などソフト面での環境整備についても遅れているという地方都市ならではの事情があるようです。とはいえ、ほんの 10数年前まで、そこで残酷な内戦が起きていたことが信じられないほど、滞在中、“内戦の爪痕”を目にすることもなく、表面的には、他のインドネシアの都市と変わらぬ印象を受けました。

 数日の滞在ではアチェという地域について分からぬことは多々ありますが、実際に現地を訪れて、直接現地の人たちと触れ合うことを通して、少なからず事業についての理解は深めることができました。またジャリアチェにとっても、毛髪分析の実施が、ほぼ初めて科学的なデータを得る機会となり、健康被害が水銀から来るものかどうか全く分からなかったこれまでの現状について、一つの答えを出せたのではないかと思います。正確に言えば、毛髪検査は過去にも現地で行われたそうですが、誰が実施したのか分からず、またその結果を伝えられることもなかったようです。こうしてただ不信感を募らせていった住民にとっても、今回の調査は貴重な機会であったと言えると思います。
 改めまして、今回の訪問を受け入れてくれたジャリアチェに感謝と活動への敬意を示すとともに、関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。


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